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| 第 1 回 〜 カルドーニョでの少年時代 〜 (1/2) | ||
| ロベルト・バッジョ――人口8300人の小さな町で生まれた少年が、 カルチョ最大のスターになるなど、いったい誰が想像し得ただろうか。 バッジョの人生は常に“予期せぬこと”の連続であった。 栄光、挫折、失意、そして復活。様々な人生の岐路で、 バッジョはいかに考え、悩み、決断してきたのか。 今まさに、その真実が本人の言葉によって明らかになる。 インタビュー●高橋在 interview by Ari TAKAHASHI 写真●兼子愼一郎、高橋在、マウリツィオ・ボルサーリ photo by Shin-ichiro KANEKO/Ari TAKAHASHI/Maurizio BORSARI | ||||||
ロベルト・バッジョ(以下R) ―― カルドーニョというヴィチェンツァ県のちっちゃな町だよ。僕は自分の家で生まれたんだ。おかしいかい? 病院には行きたくなかったんだよ(笑)。母の名前はマティルデ、父の名前はフィオリンドさ。僕は8人兄弟の6番目として生まれたんだ。 8人兄弟のうち、男は何人? R ―― うちの両親はたいしたものだよ。なぜかって? だって、最初に女の子を産んで、次に男の子を産んで、その次は女、その次は男という具合に順番に産み分けたんだよ。最初の2人と最後の2人は病院で出産、中の4人は家で出産したんだ。僕は家で生まれた最後の子供さ。 どんな子供だったのかな? R ―― 自分ではほとんど覚えていないけど、兄や姉の話だとすごい“わんぱく”だったらしい。じっとしていることがなかったみたいだよ。常に何かしてなくては気がすまなかったらしいんだ。いろいろ“悪さ”もしたみたいだね。それが、僕の得意技だったんだって。 例えば、どんな悪さを? R ―― 本当にいろいろやらかしたらしいよ。例えば、8歳の時には、生まれたばかりの弟をテーブルの上から落としたらしい。弟が強い子かどうかチェックしたかったみたいなんだ。僕は全然覚えていないけどね。 ボールとの出会いは? R ―― 相当早かったと思う。兄のヴァルテルとジョルジョがいつもサッカーをやっていたんだ。僕はいつでも、どこでも、2人と一緒だったからね。あの2人にはずいぶん(サッカーを)教えてもらったよ。兄2人から多くのことを学んだんだ。もっとも、僕の(サッカーへの)情熱は生まれついてのものだったけどね。何せ、いつでも、どこでもサッカーをやっていたんだから。 君のお兄さんから、君が何歳の時にボールを蹴り始めたか聞いたことはないの?
君たちが家の中でサッカーをしていることに関して、君の両親は何も言わなかったの? 家の物をずいぶん壊したんだろうね。 R ―― たくさん壊したよ。家の中には母が作った陶器も置いてあったし、しょっちゅう、物が飛んでくるんじゃたまらなかったと思うよ。それに父は自転車(競技)が好きだったから、僕ら息子の誰かが自転車の選手になってくれることを願っていたんだ。エディー・メルクス(注:ベルギーの名ロードレーサー)みたいになってほしいと思って弟にエディーという名前をつけたくらいだからね。もっとも、エディーもサッカーを選んじゃったから、父の夢は叶わなかったけれど。 君の両親は君がサッカー選手になることに反対しなかったのかい? お父さんがそれほど自転車好きだったわけだし。 R ―― 彼は誰か1人に自転車の選手になってほしかったんだけど、すぐに、無理だと気がついたみたいだね。さっきも言ったように、いつでも、どこでもサッカーをしてたんだから。それを見れば、自転車レースの話をしても無駄だと思うのが普通だよ。だから、反対どころか、父はむしろ激励さえしてくれたんだ。僕がサッカー選手になることの邪魔をしたことなんて1度もない。サッカーへの情熱に反対しても意味がないってことを、わかってくれてたんだと思う。 学校の成績はどうだったの? R ―― 各地域でリーグ戦があるんだ。そのリーグ戦に出場し始めるまでは学校の成績も良かったと思う。でも、リーグ戦に出るようになってからはサッカーばかりに夢中になってしまい、学校のほうはおろそかになっちゃったね。
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