僕は、(仏教のおかげで)人生という
ものがもっとはるかに難しくて、
もっとはるかに深遠だということを
発見したんだ
どうやって仏教と巡り合ったんだい?
R ―― フィレンツェで出会ったんだよ。何年も仏教を実践している友だちがいてね。彼が仏教について、明確な説明をしてくれたんだ。
カトリックの家に生まれ育った君が、初めて仏教の話を聞いた時、どんな印象を持った? 大きなインパクトを受けた?
R ―― 最初はすべてが目新しいことばかりだったよ。理解に苦しむこともあったさ。今でこそ仏教はイタリアでも普及しているけど、13年前は何もなかったからね。もちろん、仏教についての知識もなかったし。だけど、彼は大きな情熱と幸福感を持って、僕に仏教についての話をしてくれたんだ。それがとても印象的だった。だから、仏教を信仰してみようと決めたんだよ。さっきも言ったように、僕自身が難しい時期にあって、心の平静さを失っていたから、信仰が必要だったんだ。眠れない夜、それに膝の問題、他にも深刻な問題が山積みだった。「自分自身をより知る」ための手助けをしてくれるという事実に心を打たれたんだ。
君の両親はもちろんカトリックだろうけど、彼らは君の選択をどう捉えたのかな?
R ―― もちろん、最初は2人とも懐疑的だったよ。仏教について何も知らなかったからね。僕だってそうだったし。でも、僕の中に大きな変化を見出したんだろうね。それからは安心したみたいだよ。
君の家族の中に、その後、仏教に改宗した人はいるのかい?
R ―― 家族に仏教を実践させるのは難しいよ。どうしても表面的な部分だけになってしまいがちなんだ。僕は家族にとっても、多くの人にとっても“サッカー選手”にすぎない。でも、それでいいんじゃないのかな。ただ、僕は、人生というものがもっとはるかに難しくて、もっとはるかに深遠だということを発見したんだ。仏教のおかげで、自分の体内に問題を克服するだけの力を見出すことができたんだ。だけど、これを他人に説明するのは難しいし、ましてや、他人に理解してもらうなんてすごく大変なことだよ。
君が言ったように、当時は仏教を実践する人がイタリアにはほとんどいなかった。当然、サッカー界でも何らかのリアクションがあったでしょう?
R ―― 僕のチームメイトは僕の信仰を真面目に受け取ってくれていた。僕は自分の部屋でしか“お勤め”はしなかったからね。誰にも迷惑はかけなかったつもりさ。もっとも、時々、おかしなことを言う輩もいたけどね。僕がシュートを外したり、何らかのミスをしたりすると、「仏教のせいでミスをした」なんて書く人もいたよ。愚かな行為だよね。愚か者のすることは無視するしかないさ。
2年間も実戦から遠ざかると、
たとえ20歳という若さがあっても、
ゲーム感を取り戻すのは
とても難しいことなんだ
ピッチの話に戻ろうか。ケガが癒えて完全復帰となったのはどのゲームだったの?
R ―― 具体的にどのゲームだったかは覚えてないよ。僕にとっては、走る時に膝に痛みを感じないことがすでに大きな勝利だったんだ。それは練習の時点で感じていたことであって、ゲームはあくまでその結果だった。
そして、君のセリエA初ゴールが生まれる。
ナポリvsフィオレンティーナ戦だったよね。
R ―― そうだよ。あれは、ナポリがスクデットを獲ったシーズンだった。僕らはセリエBに降格してしまいそうなシーズンだったんだ。結果的に、あのゴールがチームを降格から救うことになったんだよ。
そのゴールのことを今でもはっきり覚えてる?
R ―― もちろん。忘れるわけがないよ、初恋みたいなものだからね。
ピッチ上にはマラドーナがいて、そして君の隣にはアントニョーニがいた……。
R ―― そうさ。昨日のことのようにはっきりと覚えてるよ。ナポリはスクデットを目前にしていたんだ。スクデットまで勝ち点1という状況だった。そして僕らにとっても勝ち点1を奪えればA残留への希望がつながる大事なゲームだった。ピッチにはマラドーナやアントニョーニがいたよ。あの日はすごく暑い日だった。
1987年5月10日だ。
R ―― そう、2年間のブランクがあって、練習試合には何試合か出てたけれど、公式戦としては最初のゲームだったんだ。
2人のカンピオーネを前にしてゴールを決めた時、どんな気持ちだった?
R ―― 試合の結果だけを考えてたよ。他のことを考える余裕はまったくなかった。もちろん、うれしかったよ。幸せな気分だった。あのゴールによって、引き分ける可能性が生まれたんだからね。でも、カンピオーネの前でゴールを決めたなんていう感覚はなかったさ。単に、このゴールでチームが引き分けることができればと願っていただけだよ。
結局、ゲームはどうなったの?
R ―― 1−1の引き分けだった。あのゲームでナポリはスクデットを決めたんだ。ただ、僕らにとっても貴重な勝ち点1だったんだ。次のホームゲーム(リーグ最終節)で勝って、セリエAへ残留することができたんだから。
そして87−88シーズンには、エリクソンがフィオレンティーナの指揮を執ったよね。彼とはうまくいったの?
R ―― 非常にうまくいってたよ。もっとも、あの頃からすでに、僕が監督とトラブルを起こすような選手だということを新聞が書き始めていたけどね。もちろん、すべては事実無根だった。僕はエリクソンを尊敬していたんだから。彼の行動というか、彼がゲームに備える方法論がとても好きだったんだ。エリクソンの下でプレーした頃がとても懐かしく感じられるよ。
88−89シーズンもエリクソンが監督。
君は30試合でプレーし、15ゴールも決めているね。
R ―― そうだね。多分、あのシーズンが(僕のサッカー人生にとって)重要な年だったんだろうな。体調も最高だったし。2年間も実戦から遠ざかると、たとえ20歳という若さがあっても、ゲーム感を取り戻すのはとても難しいことなんだ。時間も必要だし、それに、以前にも増して自己犠牲が必要なんだよ。他の選手に追いつくためには、その分、多くの練習をこなさなければならないんだ。
89−90シーズン、君は32試合でプレー、17ゴールを決めている。
そして、フィオレンティーナはUEFAカップ出場権を獲得。
R ―― そうだよ。あのシーズンのヴィオラはとても好調だった。そして、最終的にローマとのプレーオフに勝ってUEFAカップ出場権を手にしたんだ。UEFAカップの出場権はギリギリで手にしたんだけど、UEFAの本番ではチームは最高の出来だった。決して“まぐれ”で決勝まで勝ち進めたわけじゃないんだよ。
例の“ユーヴェとの決勝”だね。
R ―― そうさ。
UEFAカップは、君にとって初めての国際ゲームだったわけだけど、イタリアを出て外国のチームと戦うというのはどんな感じだった?
R ―― とてもうれしかったね。イタリア国外のレベルの高いサッカーと接するということに気分は高まったよ。僕にとっては大きな経験となった。それに、何といっても決勝まで進んだんだから。
初めて外国のチームと戦ってみて、何か大きな違いを感じたかい?
R ―― ともかく“強い”という印象を受けたよ。もっとも、セリエAで戦う相手に対しても強敵だと感じていたし、今でもそう感じてはいるけど、国外でのアウェーゲームは特に大変だという印象を受けたんだ。相手のチームはみんなトップレベルだったということもあるしね。
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