回 〜 ユーヴェへの移籍、初めてのW杯 〜 (1/3)
“最大のライバル”であるケガを克服し、スターへの階段を駆け上がったロビーは
フィオレンティーナからユヴェントスへの移籍という“苦難”を乗り越え、
ついにマーリア・アッズーラ(イタリア代表)のジャージを身に纏う。
いよいよ、W杯優勝という“人生の目標”へと向かう道を歩き始めたのである。


インタビュー●高橋在 interview by Ari TAKAHASHI
写真●高橋在、マウリツィオ・ボルサーリ
photo by Ari TAKAHASHI/Maurizio BORSARI

僕はフィオレンティーナに
残りたかったんだ。
それが真実だよ。でも、それは
僕自身の力が及ばないことだった

1990年、UEFAカップの決勝(vsユヴェントス)はかなり揉めたよね。いったい、何があったの?

ロベルト・バッジョ(以下R) ―― あの時のフィオレンティーナは、そもそもホームグラウンドが使えないことに問題があったんだ。あの年、フィレンツェのスタジアムはW杯用に改修中だったから、ホームゲームはリーグ戦も含めてすべてペルージャのスタジアムでやったんだよ。毎週日曜日、わざわざペルージャまで行ってホームゲームを戦ったわけさ。もちろん、UEFAカップも同様だった。そして、ヴェルダー・ブレーメンとの準決勝が行われる前に、うちのサポーターがゴールネットに(ヴィオラの)スカーフを巻きつけたんだよ。その罰則として、決勝でホームスタジアムの使用を禁止されて、ペルージャのスタジアムさえ使えなくなってしまったんだ。だから、ユーヴェとの決勝のために、わざわざアヴェッリーノ(イタリアの南部)まで行くはめになったんだよ。結局、トリノでの初戦は1−3、2戦目は0−0で引き分けてしまい、優勝することはできなかった。もし、フィレンツェかペルージャでやっていたら、別の結果が出たかもしれない。

ユヴェントスとフィオレンティーナのライバル意識はすごく強いけど、その原因は何だろう?

R ―― 良くはわからないけど、これまでのいきさつに原因があるんじゃないかな。フィオレンティーナは82年に惜しいところでスクデットを逸してるんだけど、わずか1ポイント差でユーヴェに後れを取ったのさ。他にも原因はあると思うけど、フィレンツェの人たちはその時のことを特に恨んでると思うよ。最終節でユーヴェはPKをもらって勝利をものにし、その一方で、フィオレンティーナは正当なゴールを取り消されたんだ。そういうことの積み重ねがあって、サポーターのユーヴェへの“恨み”は生まれたんだろうね。

“恨み”とはきつい言葉だね。

R ―― “愛”とは言えないよ。

ユヴェントスは全国的に大きな人気を誇るチームで、どこに行ってもファン・クラブが存在する。だけど、フィレンツェには存在しないというのもそれが理由なのかな?

R ―― ファン・クラブは存在しないかもしれないね。以前、ユーヴェ・クラブができたけど、焼かれてしまったんじゃないかな。フィレンツェでユヴェンティーニを見つけようとしたらけっこう大変だと思うよ。何せ、ユーヴェを“恨んで”いるからね。

“ビアンコネーロ信仰”はフィレンツェでは根づかない?

R ―― 難しいだろうね。

ヴィオラのアイドルであった君が、それほどまでに“憎まれている”ユーヴェに移るなんていう極端な選択はどのようにして生まれたんだい?

R ―― 僕はフィレンツェを出たくはなかったんだ。快適だったし、フィレンツェでの将来設計を考えていたからね。家も買うつもりだったし、それに、妻が妊娠中だったんだ。長女が生まれる直前でね。だから、なおさらフィレンツェに残りたかった……。でも、(移籍に関する)選手の立場は今とは全然違って、あの時、僕はあくまでフィオレンティーナの“持ち物”だったんだ。そして、僕の持ち主だったポンテッロ(当時のフィオレンティーナ会長)が僕を売ろうと決断しただけさ。繰り返すけど、僕には選択権なんてなかったんだよ。他には道がなかった。だから、“嫌々”フィレンツェを出るしかなかった……。といっても、ユーヴェでプレーすることが嫌だったという意味じゃないよ。今言ったように、フィオレンティーナに残りたかっただけなんだ。

フィレンツェは大騒ぎになったよね。町では、君がフィレンツェを出ることに反対して暴動が起こった。サポーターがああいった行為に出ることは予想できなかった?

R ―― 暴力沙汰に発展するとは予想できなかったよ。しかも、一部の少年たちが警察と衝突しただろう? そんなことは考えるだけでもつらい。他人に迷惑をかけるなんて行為だけはしてほしくなかった……。ああいう(暴力)行為には本当に心が痛むよ。でも、残念だけど、落胆が人々を町中での暴動へと駆り立ててしまったんだ。もちろん、暴力行為は決して許されることではないけれど、チームの決定を不服として法を犯す行為を取らざるを得なかったファンの人たちには、本当に申し訳ないことをしたと思っている。僕にとっても、あの事件を心の中で消化するのはとても難しかったんだ。

暴動が起きたことは悲しむべきことだが、それだけロビーが愛されていた証しでもある

君を“金に目のくらんだ男”と非難したファンもいたけれど……。

R ―― 他のチームに移る時はいつもそんなものだよ。ただ、僕はフィオレンティーナに残りたかったんだ。それが真実だよ。でも、それは僕自身の力が及ばないことだった。僕はトリノに移らなくてはならなかった。交渉はすべてが秘密裡に進められていた。何せ、僕がユーヴェ行きを知ったのは、シーズンが終わってからだからね。おそらく、クラブ側はこのことで町が混乱することを恐れていたんだろう。もちろん、シーズン中から噂は流れていたよ。でも、僕は、数カ月間ずっと、「フィレンツェから出る気はない」、「移籍の話は知りたくもない」と言い続けていたさ。それが僕にとっての事実だったんだよ。僕が嘘をついていたわけではないんだ。

最近はチームのシンボルと言うべき選手ですら簡単にチームを移っているよね。こうした状況についてどう考えている?

R ―― 今のサッカー界は大きく変わった。当時、僕はできるだけ長い間、同じチームでプレーしたいと思っていたよ。でも、あの頃は選手にチームを選ぶ権限がなかった。僕はクラブの決定に従うしかなかったんだ。

チームメイトは何と言っていた?

R ―― 確かに僕はチームを出た。でも、その後も(フィオレンティーナの)チームメイトとの絆は強かったよ。僕らは最高のグループだったんだ。チームメイトたちは僕の移籍をとても残念がってくれたよ。ただ、サッカー選手である以上、移籍はどうしようもないこと。今ほどではないけど、当時でもすでに当たり前だったからね。

君の意思に反する移籍ではあったが、ユヴェントスというビッグクラブに移ること自体は、君のサッカー人生にとっては大きな前進だったんじゃない?

R ―― もちろんだよ。プロのサッカー選手という意味では大きな前進だった。だが、あの時点では、そんなことは考えられなかった。家族の生活を第一に考えていたし、平静な生活を望んでいたんだから。フィレンツェは快適だったよ。みんなが良くしてくれたし、アッズーリにも選ばれた。僕にとっては非常にいい状況だった。そういうことも含めて、環境を変えるということに抵抗があったんだよ。

君にとってフィレンツェとは?

R ―― すべてさ。僕にとって、あらゆる面で最高の環境だった。だからこそ、家具を全部揃えたわけだし、家も買うつもりだったんだ。それに、妻が妊娠していたということも大きかった。妻に移動の苦労をかけたくなかったんだ。家族が平静に過ごせる場所がほしかったんだよ。

ユーヴェ入りに際しての君の抱負は何だったの? フィオレンティーナにないものを望んでいたんだろう?

R ―― ビッグクラブでプレーできるという喜びよりも、「すべてが大変だろうな」という不安のほうが大きかったな。ハイレベルのプレーを維持するというのはとっても難しいものだし、それに、トリノの人々が僕とフィレンツェとの関係を誤解する可能性があるということは容易に想像できたしね。そして実際、そのとおりになったよ。僕がフィレンツェを離れたがらなかったのは、「ユヴェントスでプレーするのが嫌だったから」と、ユヴェンティーニの多くが考えたんだ。つまり、僕がユーヴェ行きを拒否したと判断したわけさ。さらに、僕には全く身に覚えのないようなことが“バッジョの発言”ということでまかりとおっていたんだ。「ユーヴェを憎んでいる」とか、「ユーヴェなんかには絶対行かない」と僕自身が壁に落書きしたとか……ユーヴェとフィオレンティーナのライバル意識に火をつけるために、誰かが仕組んだ話なんだよ。そういうこともあって、ユーヴェのサポーターは僕を好意の目では見てくれなかった。
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