回 〜 ユーヴェへの移籍、初めてのW杯 〜 (2/3)

デビュー戦というのは、
緊張するものだよ。特に
アッズーリの場合は“祖国のために
プレーする”という意識があるからね


ロビー、君はフィオレンティーナ時代にアッズーリにデビューしたんだよね。そしてその後、君にとって初めてのW杯に出場する。まず、代表デビューの時の話を聞かせてよ。


R ―― 1989年の10月に初めてアッズーリに呼ばれたんだ。もっとも、最初のゲームはベンチからの観戦だったけどね。

「そろそろアッズーリからお呼びがかかるな」なんて感じていた?

R ―― 期待はしていたさ。2年間ケガで欠場した後のシーズンだったから、コンディションは最高とは言えなかったけど、それでも、コッパ・イタリアで9本のゴールを決めたし、リーグ序盤戦にもいいプレーができていたんだ。だから、代表に招集されたんだろうね。

代表のメンバーに選出されたことは誰が知らせてくれたの? その時の代表監督はヴィチーニだったよね?

R ―― そう、監督はヴィチーニだった。でも、彼が僕に直接電話してきたんじゃないよ。僕は、金曜日の朝に、チーム関係者から代表に呼ばれたことを伝えられたんだ。

うれしかった?

R ―― 喜びで飛び上がったよ。

どのくらい高く飛び上がった?

R ―― ものすごく高く飛び上がったさ(笑)。とてもうれしかったよ。

初めてアッズーリでプレーした時はどうだった? 緊張したかい?

R ―― すごく緊張したよ。デビュー戦というのはどんなことでもそうだと思うけど、緊張するものだよ。特にアッズーリの場合は“祖国のためにプレーする”という意識があるからね。しかも、僕のデビュー戦は、アッズーリにとっても、きついゲームだったんだ。相手はオランダだった。そして、僕のアシストで挙げた1点で勝ったんだよ(1−0)。最高のデビュー戦だったな。

FIGC(イタリアサッカー連盟)創設90周年記念のオランダ相手の親善試合、場所はローマのスタディオ・オリンピコだったね。
それじゃ次に、アッズーリでの最初のゴールは?

R ―― 初ゴールはヴェローナでのゲームだった。
確か、FKから直接決めたと思う。相手はウルグアイだったはずだよ。うれしかったね。


ヴェローナは君の実家から近いから、親戚や友だちがいっぱい応援に来ただろうね。

R ―― たくさん来たよ。
一般ファンよりも、親戚や友だちのほうが多かったくらいだった(笑)。

そして1990年の夏、アゼリオ・ヴィチーニ監督の下、W杯でプレーする……コヴェルチャーノ(代表トレセン)での合宿の時のことを覚えているかい?

R ―― ああ、とてもつらかったさ。

つらかった?

R ―― ちょうど、僕の移籍を巡ってフィレンツェで暴動が起こっていた頃だったんだ。

コヴェルチャーノはフィレンツェの郊外だから、ヴィオラ・サポーターが合宿所まで押し掛けたというわけか。

R ―― 想像できるかい? きつかったさ。とてもきつかった。

君にとっては迷惑な話だよね……。

R ―― そうなんだよ、いろいろな意味でね。とにかく、あの状況は本当にきつかったさ。

君への抗議のデモは別として、アッズーリの雰囲気はどうだった?

R ―― チームの雰囲気は良かったよ。練習も順調だった。フィレンツェでは今言ったような騒動はあったけど、その後、アッズーリはローマの近くに場所(マリーノ)を移して合宿したんだ。大会期間中もずっとそこを拠点に戦ったわけだけど、とても落ち着いた環境で、W杯へ向けた良い準備ができたと思うよ。常にサポーターが僕たちの後押しをしてくれていたしね。あの時のアッズーリは最高のグループだった。だからこそ、1度も“負けず”に3位になれたと思うんだ。

多くのカンピオーネとともに生活したわけだけど、彼らとは馴染めたの?

R ―― 当時の僕はまだ若僧だったわけだから、その場にいられるということ自体がすごいことだったんだ。それに、ただ単にその場にいただけじゃない。幸運にも何試合かプレーさせてもらったんだ。それ以上何を望めと言うんだい?

アッズーリの面々で、特に仲の良かったのは?

R ―― 全員で素晴らしいグループを形成していたんだ。常に全員が一緒だったよ。常に全員の気持ちが一致していたんだ。
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