回 〜 ユヴェントスでの栄光 〜 (2/3)
もし、僕が監督ならば、バッジョが
最大限に力を発揮できるポジションに
バッジョを据えるさ


FW、トップ下という話に戻るけど、君自身は自分がどちらに向いていると思う?

R ―― ファンタジーアを売り物にしている選手にとっては、前にたくさん味方がいるほうがいいに決まっているさ。自分の前にたくさん選手がいれば、(パスの出しどころが多くなり)それだけインスピレーションやファンタジーアを発揮するチャンスが多くなるからね。ただ、戦術主義が優先するイタリアでは、なかなか思うようにはいかないよ。だから、1トップの背後とか、セカンドアタッカーとしてプレーせざるを得ないんだ。自分自身としては、少なくとも2人のFWの背後でプレーしたいんだけどね。下がり気味のポジションでボールタッチ数を増やしたほうが、良い結果が出ると思っているんだ。

引き気味のほうが、君自身をもっと表現できると言うんだね?

R ―― そうだね。そのほうがゲームに参加しているという意識も持てるし。10分間に1回しかボールにタッチしないなんていうのは耐えられないよ。常にボールを意識していれば、自分の能力を発揮できると思うんだ。ただ、イタリアではいろいろと事情があって、僕がセカンドアタッカーとして機能しなくてはならないんだ。FWとしてプレーするためには、背後からのフォローが必要なんだけど、それがなければパスも出せないし、自分の能力を発揮することはできないね。

トレクアルティスタ(トップ下)に要求される能力とは?

R ―― 時と場合によるね。理論的には、トレクアルティスタにはファンタジーアとインスピレーションが要求されると思うんだ。でも、そういった才能とは無関係の選手がこのポジションに据えられることも多い。監督によっては、カバーリングを重視したり、相手のカウンターに対応できる選手を使う場合もある。結局、監督の考え方や戦術次第だよね。多くの監督が、常々“攻撃的サッカー”とか“勝つサッカー”なんて言葉を口にするけど、実際は、全員が“点を取られないことだけ”を考えているような気もするよ。

もし君が監督だったら、ロベルト・バッジョをどのポジションに使うかな?

R ―― まず、その選手の持ち味を考慮すると思うな。バッジョがどうの、ということではなく、どんな選手にも持ち味があると思うんだ。その選手の持ち味が最大限に発揮できる場所に据えると思うよ。

ということは?

R ―― ということは……もし、僕が監督ならば、バッジョが最大限に力を発揮できるポジションにバッジョを据えるさ。バッジョ自身にとっても、チームにとっても最も効率の良いポジションにね。


コーラー、ラヴァネッリと喜び合うバッジョ。ユヴェントス時代は、バッジョの長いキャリアの中で最も輝きを放った時期だと言えるだろう

彼はいつも僕に親切にしてくれるんだ。
日本へ行くたびに、ホテルの部屋に
彼から“ウェルカム”の意味の
シャンパンが届いているんだよ

「ロビーの旅」に戻ろうか。1992年、日本の新聞社が企画したジャパン・ツアーで、君は初めて日本を訪れている。その時の日本は君の目にどう映ったかな?

R ―― なぜだかわからないけど、子供の頃から、日本に特別な感情を持っていたんだ。多分、エレクトロニクスや武道に魅かれていたのかもしれないな。明確な理由はないんだ。でも何となく、カリフォルニアと日本に魅かれていたんだ。地震が多いということで印象に残っていたのかもしれない(笑)。初めて日本に行った時は、日本人のマナーの良さに本当に驚いたよ。公の場で、大声で話す人がいないんだよ。みんな小声で話していた。会う人はみんなお辞儀をするんだ。すべてが印象的だったし、今でもその時の印象は僕の心に残っているよ。

あの時は日本代表と2試合やったんだね。ゲームについて何か記憶していることは?

R ―― あの頃、ちょうど日本サッカーは国際舞台に乗り出そうとしていた。テクニック的にも身体的にも相当いいものを持っている選手もいたよ。特にスピードがあったな。その能力をいかに伸ばすかというのが当時の日本サッカーの課題だったと思うんだ。今でもはっきり覚えているけど、本当にいい素材を持った選手が何人かいたよ。

その時の情報によると、神戸のホテルで、君はいつもゲームセンターにいたらしいね。

R ―― そうだったね(笑)。

コンピューターゲームが好きなの?

R ―― 好きだよ。ゲームセンターがホテルの地下にあったから、練習のない時は、みんなでコンピューターゲームをやってたよ。暇つぶしにもなったしね。いつも地下にいたという感じだよ。見たこともないようなゲームばかりだったんで、「すごいゲームがある」とびっくりしていたんだ。

今でもコンピューターゲームで遊ぶの? 例えば、プレイステーションとか。

R ―― いや、もうやらないよ。子供たちはやっているけどね。だから、コンピューターに関してわからないことがあると、いつも子供たちに聞くんだよ(笑)。

日本サッカーについての話に戻ろう。
もちろん、カズ・ミウラのことは覚えているでしょう?

R ―― もちろんだよ。彼は元気かい? 彼はいつも僕に親切にしてくれるんだ。日本へ行くたびに、ホテルの部屋に彼から“ウェルカム”の意味のシャンパンが届いているんだよ。とても感謝しているし、この場を借りてお礼を言いたいな。この連載を見てくれてるかな?

心配しなくてもいいよ。君からのメッセージは必ずカズに伝えておくから。

R ―― ありがとう。

カズはセリエAでプレーした最初の日本人だけど、イタリアでの成功には至らなかった。カズには何が欠けていたんだろう?

R ―― 何事に関しても、パイオニア(先駆者)というのは大変なものなんだ。それに、イタリアサッカーはとても厳しいところなんだ。特に、周囲のプレッシャーが大きいからね。イタリアでは、さっきも言ったように、みんなが“攻撃的サッカー”を口にはするけど、実際は守備のことしか考えないんだ。だから、FWや攻撃を組み立てる選手には、常に大きな困難が伴う。カズは優れた才能とともにイタリアにやってきた。ただ、イタリアサッカーの経験はなかった。イタリアでの経験がなかったということが、彼にとって障害になったんだろうな。それに、周囲も不信感を持って彼を見ていたんだ。サッカーの伝統を持たない国から来た男ということへの不信感だった。イタリアでは、こういったことすべてが障害となるんだよ。

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