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| 第 7 回 〜 新天地での挑戦 ミラン、ボローニャ時代 〜 (2/4) | ||
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サッキが監督に就任した時点で、 「コンスタントにはプレーできないな」 と感じたことは確かさ 96―97 シーズン、カペッロはレアル・マドリーの監督に就任。ミランの監督の座にはタバレスが座り、そして、ミランはスタートでつまずいてしまった。その後、タバレスが解任され、サッキがミランの監督に就任する。サッキがミランに戻ってくるなんて想像したことがあった? R ―― サッキが仕組んだんだよ(笑)。 君のために仕組んだのか(笑)。 R ―― 冗談はいいとして、サッキの復帰はある程度予期していたことだったよ。そして、恐れていたとおり、散々なシーズンになってしまった。僕はほとんどゲームに使ってもらえなかったんだ。チームの状態が悪い時だけ、出番が回ってきたという感じさ。チーム内に問題は多々あった。サッキは僕ともめていただけじゃない。他の選手とも問題を抱えていたんだ。 サッキが監督に就任した時、「神は君の忍耐力を試すためにサッキを君の元に送った」なんて思わなかった? R ―― どうかな……。でも、サッキが監督に就任した時点で、「コンスタントにはプレーできないな」と感じたことは確かさ。そしてそのとおりになった。チームが本当に困った時にしか出番はもらえなかった。誰かが出場停止になったとか、誰かがケガしたという時だけしかプレーチャンスを与えてもらえなかったんだ。コンディションも良かったし、練習も一生懸命やった。だが、プレーするチャンスはもらえなかったんだ。
R ―― その前に僕がカペッロに電話したんだ。彼がまだマドリッドにいた時だよ。そのシーズン終了後にはW杯(フランス大会)が予定されていた。僕としては彼の気持ちを知りたかったんだ(僕をプレーさせるつもりがあるのか否か)。彼の構想に僕が入っているのかどうか知りたかったんだ。「若手を中心にしたチーム作りを考えている」というのが彼の答えだった。「わかりました。僕のことは心配しないでください」と彼に言ったよ。そこから、ボローニャ行きの話が本格化したんだ。 できればミランでもっとプレーしたかったのでは? R ―― ゲームに出場したかったんだ。ゲームに出場しなければ、W杯への道は開けないからね。その時点で、代表から遠ざかっていたし、一日も早くゲームに出場して、他の選手と同じ条件で代表入りを競い合いたかったんだ。 ベルルスコーニ(ミラン会長)は君を強く望んでいた人物だけど、彼は君がミランを去ることには反対したんじゃない? R ―― あの頃、彼はクラブの運営からはもうすでに離れていたんだ。カペッロが強大な権限を持っていたんだよ。ほとんどすべてのことを、カペッロが決定していたんだ。 カリスト・タンツィ(パルマ会長)が君をとても欲しがっていたんだって? 君をパルマに誘ったんだよね? R ―― そうだよ。 でも、当時の監督アンチェロッティがバッジョ獲得に猛反対した。 R ―― 「俺を選ぶか、それともバッジョを選ぶか?」という彼の言葉が有名になってしまったけど、これもメディアの作り話かな? 実際に何が起こったのか、彼が本当にそう言ったのか僕にはわからない。わかっているのは、僕がパルマに入った場合、それまでレギュラーだった選手がはみ出してしまう。そのことがある種の反発を呼んだということさ。でも、僕がパルマに入ったとしてもレギュラーを獲れる保証なんて全くなかった。でも、レギュラーポジション争いに参加することは確かだった。そのことを恐れる選手もいたんだろうね。おそらく、そういった理由で彼(アンチェロッティ)は僕のパルマ入りに反対したんだと思う。それを大袈裟にするのはメディアの仕事さ。 そして、ボローニャのガッツォーニ会長が君を欲しいと言ってきた。プロヴィンチャのチームに行くということに関して不満はなかったの? ボローニャがスクデット争いに加わるということはあり得ないし、ヨーロッパカップでプレーするチャンスも失われてしまう……。 R ―― いや、それはないな。僕が望んでいたことはただ一つ。ゲームに出場するということだった。ゲームに出場することがW杯出場への唯一の道だったんだ。スクデット争いなんてことは頭になかったさ。ビッグクラブはスクデットのためにプレーする。だが、最後にスクデットを手にするのはたった1チームだけだ。他のすべてのチームは失敗に終わってしまうんだよ。 要するに2位に入るのも、リーグ戦の中位で終わるのも……。 R ―― ほとんど変わりはないということさ。 |
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