僕はこのままでいい。
“ソフト”な人生を
生きたいんだ

エウジェニオ、君のサッカー人生の分岐点はいつだったのかな?

コリーニ(以下C) ―― 1998年の11月。キエーヴォに移ったばかりの頃だよ。ヴェローナに1カ月間も放りっぱなしにされたんで、同じヴェローナの町にあるキエーヴォに職を見出したのさ。ところがキエーヴォと契約して数日後、膝をやってしまったんだ。手術を受けることになってしまってね。

病院には誰が来てくれた?

C ―― 妻のカテリーナ以外、僕の苦しみを分かち合ってくれる人なんて誰もいなかったさ。ところが数日して、会長のカンペデッリが病院に来てくれたんだ。そして、僕に契約の更新を申し出てくれたんだよ。僕は契約を破棄されるのではないかと不安だったんだ。それが、契約の更新だろう。うれしかったさ。会長には今でも感謝しているよ。

入院中は何を考えていた?

C ―― 23日間入院していたんだけど、その間に10キロも痩せたよ。毎朝、痛みを抑えるためにバリウムを飲んでいた。夜一人でトイレに行った時、気を失いそうになったこともあったよ。そんな時は気力を振り絞ってベッドまで辿り着いたさ。あんなところでぶっ倒れたら、手術したばかりの膝をまたやっちゃうところだったからね。ああ、質問に答えないと。入院中は何も考えなかったよ。ただ、痛みをこらえていただけさ。

イメージが重視される世の中だけど、君はどう考えてる?

C ―― 世間に対して自分のイメージを作ろうとしたことは一度もなかったよ。そんな必要性を感じたことがなかったんだ。人前に出たいとも思わないし、ティフォージにホラを吹くつもりもない。僕はこのままでいい。“ソフト”な人生を生きたいんだ。

これだけ脚光を浴びると、“ソフト”な生活というのは難しいんじゃない?

C ―― 周囲からのプレッシャーという意味? それは大したことないさ。病院での生活を通じて、どんな時でも平静でいることが大切だって学んだよ。人生経験がそう思えるようにしてくれたのかもしれない。もう20歳の僕ではない。30歳のコリーニなんだ。父のカルロの口癖なんだが、「人間というのは、毎年、前年の自分がいかに馬鹿だったかということに気が付く」ものらしい。この言葉の意味も最近わかるようになってきたような気がする。今は僕のことを誉め讃えるくせに、数カ月後には“ボロクソ”に言う人たちに対しても腹を立てるようなことはしないよ。

君はどういう20代を送っていたの?

C ―― 少し焦りすぎていたと思っている。あの頃の僕は、「自分には何でもできる」と思っていたんだ。自分自身がすでに成熟していると思っていたんだろうな。それなのに、いつも過ちばかり犯していた。マイフレーディに代わってトラパットーニがユヴェントスの監督に就任した時、僕はいいところを見せようと必死だったんだ。そんな僕にトラップはこう言ったのさ。「なあ、エウジェニオ。そんなに焦るなよ。カブリーニだって、タルデッリにだって、下積み生活はあったんだぞ」ってね。

それで君はどう感じたの?

C ―― 僕には理解できなかった。あの頃、インテル、パルマ、それにナポリが僕を欲しがっていたんだ。僕はすでに自分をそれなりの選手と見なしていたのさ。だから、いつも疑問に思っていたよ。「なぜ、僕を使ってくれないのか?」ってね。それが20歳であるということさ。ただ、最近では事情が変わってきたけどね。

何が変わったというの?

C ―― ロッカールームの雰囲気だよ。“先輩面”する選手がいなくなったということかな。もっとも、僕がユーヴェに入った頃も、ベテラン選手が若手に向かって「サッカーに年齢なんて関係ないぞ」と言ってはいたけどね。それでもタテ割り社会は存在していたさ。でも今は、完全に消滅したと言っていいと思うよ。マンフレディーニなんて10年前のコリーニとは全然違う経験をしていると言えるだろうね。ただ、“先輩のお叱りがない”というのは決していいことだと思えないけど。

ユーヴェに初めて合流した日のことを覚えている?

C ―― ユーヴェでの初日はひどいものだったよ。クラブ側は新入団選手に、トリノのホテルに前泊しても構わないと言ってくれたんだ。でも、僕はブレッシャ近郊のバニョーロ・メッラの実家から、練習当日の朝早くトリノに向かったんだ。父と僕の2人で“Y10”を運転してね。問題はスタディオ・コムナーレに到着してからだった。選手用のパーキングの場所がわからなくて、近くに車を止めてコムナーレに入ろうとしたんだよ。ところが、僕たちは間違えて一般のファン用の入口から入ってしまったんだ。ユーヴェのチームバッグを持ってファンと一緒にスタジアムに入ったんだよ。ファンに「あいつ、コリーニじゃないか?」って言われながらね(笑)。

ロッカールームではどうだった?

C ―― 体が震えたことをはっきり覚えてる。だって、顔を上げるとロベルト・バッジョがいて、振り返るとスキッラーチがいるんだから。まさに、パニーニのアルバムをめくっているかのようだった。しかも完全版のね(注:集めた選手カードをパニーニのアルバムに貼るというのがイタリア式カードコレクション)。

近くで見たロベルト・バッジョはどうだった?

C ―― 人間的に素晴らしいからこそ、あれだけみんなに愛されるんだなと感じたよ。彼はすべてを勝ち獲った男さ。サッカー界の頂点からボローニャに移ったことは、彼にとって屈辱だったはず。でも彼は、めげることなくボローニャでもゴールを連発した。彼のプレーには心打たれるよ。

君は以前、「人生で2人のカンピオーネに出会った。それはバッジョとマンチーニだ」と言ったことがあったよね?

C ―― マンチーニのラストパスは信じられないくらいすごかった。ゴールに背を向けた状態であっても完璧なクロスを出すんだ。あんなパスを出せる選手は見たことないよ。彼がフィオレンティーナで監督として厳しい戦いを強いられているのは仕方ないよね。だって、自分なら簡単にできるプレーを選手がやってくれないんだから。彼は“マンチーニ”がいるチームの監督をやりたかっただろうね。

君もやがては監督になりたいというのは本当?

C ―― トライしてみたいと思っているよ。34歳か35歳で現役を引退して、監督のライセンスを取得できるコースを受講するつもりさ。戦術論は結構好きなんだ。これまでのサッカー人生で多くの監督からたくさんのことを学んだし、それに、幸運にもゲーム全体を把握できるポジションでプレーしている。将来それが何らかの形で役立つと思っているよ。
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