趣味のいい家具が備えつけられた家で彼と向かい合う。あたかも時計の針が10年前にさかのぼった感じすらする。「そうなんだよ。実は数日前、妻のカテリーナにも言ったんだ。『ユヴェントスにいた頃みたいだな』ってね。代表候補に僕の名前が挙がっているみたいだし、あの頃と同じように子供が誕生するのを待っているんだ」。
あの頃と違うのは、コリーニがもはや若者ではないということだけである。11年前のコリーニは、ブレッシャからユヴェントスに移ったばかりで、大きな夢と不安を併せ持った若者であった。コリーニはその年の10月21日にビアンコネーロの一員として初めてプレーしている。そして、11年後の同じ10月21日、キエーヴォはその歴史上初めてセリエAの首位に踊り出たのだ。ユーヴェでデビューした当時のコリーニは、“イタリアサッカー希望の星”と言われていた。U−21のリーダーとしてヨーロッパを制覇、ユーヴェの“ドン”、ジャンニ・アニェッリも彼の将来に大きな期待を抱いたのである。
コリーニはユーヴェに入るや否や、ただちにレギュラーポジションを与えられる。当時の監督ジジ・マイフレーディは、積極的にコリーニを起用した。そのシーズン、20歳の若者コリーニは、栄光のユヴェントスで25試合に出場、1ゴールを記録したのである。観客の歓呼とユーヴェの一員であるという名声が、若いコリーニには“毒”だったのかもしれない。ユーヴェでのプレーはわずか2シーズン。ユーヴェのベンチに復帰したトラパットーニの構想から外れたコリーニは流浪の旅に出ることになる。サンプドリア、ナポリ、ブレッシャ、ピアチェンツァ、ヴェローナと毎シーズンのようにユニフォームの色を変えていった。チームを変えるたび、彼のプレーは輝きを失っていく。そして1998年、右膝にメスを入れた時、「すべてが終わった」と誰もが思ったに違いない。だが、コリーニは挫折しなかった。髪の毛は薄くなったが、彼のサッカーへの情熱は失われることはなかった。彼は他のどの選手よりも強い気持ちを表に出してプレーした。復活への挑戦、コリーニの第二のサッカー人生が始まったのだ。キエーヴォの成功が“おとぎ話”だと言うなら、コリーニはまさに主人公の“王子様”と言えよう。 |