彼がカンピオーネの話をする時、彼はそれがあたかも火星人であるかのように話す。リヴァウド、ペレ、マラドーナ、バッジョ……。自分に魔法を使える能力が備わったとしても、まさか自分が魔術師であろうとは気がつかないものである。思うに、トッティは成功をひけらかさないように努力しているのだ。彼にとっては普通でない物はすべて危険に見えるのだろう。
トッティは本当に健全な青年である。家族愛、信心、良心とともに、常に普通であろうと努める青年である。彼にとって大切なのは正直に生きること。きっと、彼の両親は、20歳で金持ちになり有名になることが何を意味するのか、何度も何度も彼に言い聞かせてきたのだろう。そして、トッティは、成功を手にしても謙虚さを失わないように努めたはずである。この2年間で最大の変化はこの点だろう。彼は自分の特権を受け入れている。だが、ガールフレンドを作って、感情の赴くままに行動するという欲求を鳥籠に閉じ込めた。つまり、彼は本能に“流される”危機を悟ったのである。
トッティはサッカーを楽しもうと試み、実際に楽しんでプレーしている。常に思ったとおりにプレーできる選手はトッティ以外には見当たらないだろう。カペッロがいかなる戦術を駆使しようと、彼は彼流のやり方を貫くだけだ。つまり、彼は、自分が信じたプレーをするだけなのである。監督の言うとおりにサッカーをするだけでは面白くないと彼は考えているはずだ。それだけでは、サッカーの魅力が損なわれると信じているはずなのだ。これが他の選手と大きく異なるところである。彼は自分自身の欲求に素直に生きようとしているのだ。彼にとって大切なのは“サッカーを楽しむ”こと以外あり得ない。我々は、おそらく、世界最高のサッカー選手がイタリアにいるということを知っている。だが、彼自身はそれを認めようとしない。そんなことは彼にとってどうでもいいことなのかもしれない。彼はほとんど新聞を読まないし、TVのスポーツニュースを見ることもめったにないし、スポーツバーの人垣からは逃げるように心がけている。だからといって、彼が人生からも逃避しているということではない。人生とともに逃避しているのだ。彼は自分自身の人生をコントロールしているのだ。偽善者ぶることなく、ただ正直に人生を見つめているだけなのである。
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トッティは今や完全な自由人である。自分自身が、頭の先からつま先までトッティであることを選択したのだ。トッティがカンピオーネになるためには、トッティが自由人であることが前提だったのである。
「以前、僕はぶくぶく太っていた。動きも鈍かったはずさ。その頃、ゼマンがローマの監督に就任したんだ。ゼマンとはうまくやっていけるなんて全然思わなかった。仮に、彼のお気に入りになるとしても、それは最後の最後だろうな、と思っていた。ところが、初めて会ったその日に彼と理解し合えたのさ。彼の指導の下でフィジカル面がすごく強くなったし、精神的にも強くなったような気がする。その他、色々な点で成長したような気がする」と彼は自らの成長過程を振り返る。
トッティは、「マッツォーネも僕を成長させてくれたんだ」と語る。マッツォーネといえば、しばしばトッティを叱りつけていたことが思い出される。しかし、相手が格下の時には、トッティをピッチに送り出すことがよくあった。トッティにとって、マッツォーネは頑固だが尊敬できる親父のような存在だった。クルヴァ・スッド(オリンピコのロマニスタ用クルヴァ)がトッティ起用を求めて合唱を始めても、「甘やかすのは、トッティのために良くない」と考えたマッツォーネは、あえてトッティを起用しなかった。だが、このようにマッツォーネがトッティの将来を考えて取った方法も、トッティの才能の開花を遅らすことはなかった。
例えば、カント(18世紀の哲学者)に哲学を教えることはできない。トッティは「マッツォーネとゼマンがサッカーを教えてくれたんだ」と言う。だが、トッティにサッカーを教えることはできない。才能は自然に開花するものなのだから。単に、彼はその事実をまだ理解できていないだけなのだ。
トッティが遺恨を抱いている監督がいるとすれば、それはただ1人、カルロス・ビアンチだけである。ビアンチは「チームのリーダーシップを取れ。チームリーダーになれ」とトッティに命じた。その点に関しては、カペッロと変わりはない。ただ、その頃のトッティにとって、それは過大な責任であり、不安にさせる要因だったのだ。ビアンチの評価は正しかった。だが、単に、トッティが責任を全うできるだけの年齢に達していなかったのである。もう一度言おう。ビアンチの評価は正しかった。だからこそ、ビアンチがローマを去った直後に、トッティはその本領を発揮するに至ったのである。「彼とは一度も良い関係になれなかった。彼はローマ人にある種の偏見を持っていたんだ。ローマ人は怠け者で仕事(練習)に打ち込む気はないと考えていたんだろうね。僕らに面と向かってそう言ったこともある。当然、僕らもいい気はしなかった。チームの中にはローマ生まれの選手が結構いたからね。練習中も、僕らローマ人と他の選手たちを分けていたような気がする」とトッティは、ビアンチとの過去を回顧する。
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