トッティを巡る逸話には事欠かない。1981年、5歳の頃のトッティは背は高いが痩せこけた子供だった。夏には、ローマ近くの海水浴場、トルヴァイアニカで行われていた子供のビーチサッカーの大会に、父親がトッティを連れていった。父は彼にチームに入ってプレーしてほしいと望んでいたのだ。「5歳じゃ無理だよ」と周囲の人には断られたが、父は執拗に迫った。「ともかく、やらせてみてくれ」。チームの監督は、しぶしぶトッティを仲間に加えた。するとどうだろう、トッティは2ゴールを決めたのだ。その瞬間から、トッティはビーチサッカーのチームから引く手あまたの存在になった。ただし、チームメイトはトッティの悪癖をすぐに見抜いた。「試合の後には絶対にトッティにボールを渡すなよ」というのが彼らの合い言葉となった。トッティは、ボールを自宅に持ち帰り、部屋に飾ってあったジャンニーニのポスターの下に、まるで供物のごとく、ボールを捧げていたのだ。ちなみに、その後トッティのこうした“儀式”が明るみになり、彼は多数のボールをチームに返すはめになったという逸話も残っている。
トッティのセリエAデビューに関しても面白いエピソードがある。トッティがセリエAデビューしたのが9年前の3月28日、彼がまだ16歳6カ月の頃である。当時、トッティはアッリエーヴィ(15〜16歳のカテゴリー)のチームに所属しながら、プリマヴェーラ(19歳以下のカテゴリー)のゲームにも出場していたし、トップチームの練習にも参加していた。当時の監督はヴヤディン・ボスコフ。ボスコフは、サッカーのことなど眼中にないような雰囲気を醸し出しながら、常に笑顔を絶やさない監督だった。同時に、ボスコフはサッカーを熟知している監督でもあった。トッティが“怪物”の器であることをしっかり見抜いたのは、彼だったのである。3月27日の土曜日、ボスコフはブレッシャでのアウェーゲームに向けて、トッティをトップチームに引き上げた。もっとも、トッティは翌日の試合で自分がプレーするなどとは思っていなかった。そして、トッティの予想どおり、日曜日のゲームはトッティ抜きで進んだ。試合終了の15分前、ボスコフはベンチの隅に腰掛けている選手に目をやり、「アップを始めろ!次はお前だぞ!」と言い放った。トッティはただ黙ってその言葉を聞き流しゲームの行方を目で追っていた。彼の隣にはムッツィが座っていた。トッティはアップの指令がムッツィに出されたと思っていたのだ。ボスコフはトッティに向かって、もう一度厳しい口調で言った。「おい、坊や、聞こえないのか!アップをしろと言ったんだよ!」
その翌シーズンの開幕戦、マッツォーネはバルボではなく、トッティの名をスタメン用紙に書き込んだ。その日、トッティは手首にテープを巻いていた。その頃つき合っていた彼女から贈られたハート型のブレスレットを隠すためのテーピングであった。手首にブレスレットを付けてプレーすることは禁じられていたが、そんなことは彼にとって関係なかった。とにかく、ブレスレットを隠すためにテーピングをしてプレーしたトッティは、その日、ゴールを決めたのだ。試合終了後の記者会見でゴールの感想を尋ねられたトッティは、「すごく腹が減っていたんだ」と全くわけのわからないことを口にし、それから、会見室を出てアイスクリームをほおばった。
トッティ伝説は尽きることがない。これまでに数多くのエピソードが生まれた。だが、彼にとって最大、かつ、最も美しい逸話はこれから生まれるはずだ。何より、トッティには輝ける未来がある。大きな伝説は、2002年の6月に生まれるかもしれない。
「ファーガソンが世界最高のサッカー選手はトッティだと言っていたよ」と告げると、彼は驚きを顔に表し「本当?」と私に聞くので、「1カ月ほど前にファーガソンのインタビューをした時にそう言っていたのを聞いたんだから」と彼に伝えた。ファーガソンがトッティのプレーを初めて見たのは5、6年前、プレシーズンマッチでローマと対戦した時だという。トッティはその試合で後半からピッチに立ったそうである。ファーガソンには、ベテラン選手を含むチームメイト全員が、常にトッティにボールを集めていたという点が強く印象に残ったのだという。要するにローマの選手の中でトッティの存在が一際目を引いたのだ。実際に、ファーガソンはトッティ獲得に動いたことがある。だが、ローマが“王子”を手放すなど想像すらできないことだったのである。
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トッティとデル・ピエロを比較してみよう。トッティとデル・ピエロ、2人は言わば、イタリアのシンボル的存在である。トッティと比較するとデル・ピエロのほうが傷つきやすいと言える。FWである以上、相手DFの厳しいマークを受けてプレーしなくてはならないので、それもやむを得ないことであろう。つまり、手にする栄光が大きい分、抱える悩みも大きいのである。トッティはゲームの局面で身を隠すことができるが、デル・ピエロは常に相手の矢面に立たなくてはならない。こう考えると、2人を比較対比することは意味のないことのように思える。少なくとも、トッティはデル・ピエロとの対比にうんざりしているようだ。「それぞれが好きなことをやればいいし、できることをやればいい」と、デル・ピエロとの比較の話になるとトッティは口をつぐむ。ただし、トッティは心の中では「俺の時代が来た」と感じているはずである。デル・ピエロもトレクアルティスタとしては、今のトッティとの対比は望まないはずである。アレックスが自分自身をトレクアルティスタとして認識していないということもあるだろうし、トレクアルティスタとしてはトッティがはるかに優れているということもわかっているはずなのだから。例えば、代表ではトレクアルティスタのポジションに座るのがトッティであることは誰の目にも明らかなのだ。だが、デル・ピエロとトッティは友だちである。いや、“良き相棒”と言ったほうがいいのかもしれない。代表の合宿でトッティと最も長い時間一緒にいるのはデル・ピエロなのだ。2人でプレイステーションに興じたり、時には、きついジョークを言い合う仲なのである。
友情はトッティにとってはかけがえのないものだ。「本当の友だちは4人だ」と彼は言う。「本当の友だち」とは、いわゆる人生を通じての友という意味である。1人は、以前はパーキングでアルバイトをしていたジャンカルロ・チェッカッチである。現在は大学に行っているらしい。現在ロディジャーニでプレーしているパンターニも4人のうちの1人だという。実はパンターニも、トッティが生まれ育ったローマのポルタ・メトローニア地区の出身で、トッティとともにマンゾーニ教区のサッカーチームでボールを蹴った仲間である。残る2人は、いずれも、トッティがそれなりのサッカー選手として評価されてから親交を深めた親友である。彼のいとこのアンジェロ、そして最後の一人が、唯一ポルタ・メトローニア地区のヴェトゥローニア通りでトッティと少年時代を共有していないマッシモである。マッシモとは7年前、RAI(イタリア国営放送)の番組で知り合って以来、友情を深めていると言う。マッシモとの友情はトッティにとって何よりもかけがえのないもの。彼ら2人が、いつどこで会っているのかは常に謎に包まれている。彼らには彼らのプライバシーがあるのだ。いわば、彼らは“秘密組織”の一員なのである。いずれにせよ、マッシモとの友情はトッティにとって決して侵されたくない部分なのは確かだ。
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