インタビュー・文●アドリアーノ・ジョルジInterview and text by Adriano GIORGI
写真●グエリン・スポルティーヴォPhoto by GUERIN SPORTIVO


代表キャップ数は104回を数え、誰よりも多くアルゼンチン代表のユニフォームに袖を通している。 もはや“生きた伝説”となっているディエゴ・マラドーナでさえ、彼の記録には及ばない。 そのマラドーナと同じファーストネームを持つ男、ディエゴ・シメオーネはサッカー人生の大半をイタリアとスペインで過ごしてきた。 ピサでセリエAデビューを果たしたのは、90年W杯イタリア大会の直後。 残念ながら、イタリア大会に参加する夢は叶わなかった。 シメオーネは言う。 「イタリア大会にも呼ばれる可能性はあった。 でもあの時はいくらなんでも若すぎたんだ。 まだ20歳にもなっていなかったんだから……」。 彼は、その後、スペインのセビージャに移籍し、そこでチームのアイドル的存在となる。 その後、94年にはアトレティコ・マドリーに移籍し、97年には再びイタリアに戻り、インテル、ラツィオと渡り歩いた(99−00シーズンには、ラツィオでスクデットを獲得)。 彼は成功の秘訣について、チームの“12番目の男”になりきることだと言う。 チームのためなら、自らベンチに下がることも厭わない。 そして、監督のようにベンチからチームを見守ることを選択する。 そう、12番目の男として。 おそらく、現役引退後には優秀な監督になることは間違いない。 

ディエゴ・シメオーネは、アルゼンチン代表として出場した2度のW杯で、ライバルであるアッズーリの戦いぶりを見続けてきた男でもある。 イタリア代表の栄光と悲劇を見続けてきたのだ。 アッズーリに関してインタビューをしたいと言った我々に対し、ディエゴはすぐにこう答えてくれた。 「もちろんOKだよ。 すぐに始めよう!」。 
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