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| インタビュー・文●ジャンニ・ヴィズナーディ Interview and text by Gianni VISNADI 写真●兼子愼一郎、グエリン・スポルティーヴォ Photo by Shin-ichiro KANEKO/GUERIN SPORTIVO |
| 彼にとって最悪の1年は過ぎ去った。彼は、この1年を帳消しにしたいと思っているだろう。もちろん、あの出来事を完全に消し去ることは不可能である。そう、彼のW杯はまさに“悪夢”だった。シーズン前、大きな落胆と共にミラノに戻ってきた彼だが、ミランでW杯のショックを少しは和らげることができたようだ。しかし、彼のW杯でのパフォーマンスは、ファンの記憶から消え去ったわけではない。エリア周辺での俊敏な動きと正確なラストパス、さらに、決定的なゴールを演出するポルトガルのスター、ルイ・コスタとしてでなく、ケガと批判に悩み抜いたルイ・コスタとして多くのファンの記憶に留められているのである。 ひどい1年だった。1年と言うより、昨シーズンと言うべきかもしれない。W杯からミラノに戻った8月以降、ルイ・コスタ周辺には劇的な変化があった。アンチェロッティはミランを再建しようとしており、その大きな一歩としてミランはリヴァウドを獲得した。インテルで不満足なシーズンを送ったクラレンス・セードルフも、ロッソネーロのシャツに身を包んでいた。そしてルイ・コスタの周辺は、懐疑心に満ちていた。リヴァウド、セードルフが加わったミランで、「ルイ・コスタに出番はないだろう」と多くの人が予測し、ミランのフロント陣もまた、「それもやむなし」と考えていた。だからこそ、プレミアリーグのクラブにルイ・コスタの獲得を打診したのである。結局、ミランに残ることになったルイ・コスタではあったが、彼の周辺には、明らかにこれまでと違う“覚悟”が感じられるようになった。そう、ルイ・コスタは変わったのである。そこにはスランプを完全に脱したルイ・コスタが、サッカー選手なら、いや、ストライカーと呼ばれる人種なら、一度は共にプレーしてみたいと願う本来のルイ・コスタがいたのだ。 現在、アラブ首長国連邦で現役引退までの最後のプレーをエンジョイしているジョージ・ウェアは、ミランの思い出を次のように語っている。「ミランでのプレーで心残りがあるとすれば、それはまず、オランダトリオと一緒にプレーできなかったことだ。とりわけ、ファン・バステンとプレーできなかったことを残念に思っている。もう1つの大きな心残りは、チームメートにルイ・コスタという選手がいなかったことだ。彼と一緒にプレーしていれば、もっと多くのゴールを決められたはずだからね」。 |
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