冬のカルチョメルカートの頃、君を取り巻く状況は本当に厳しかった。
ほんの4カ月前のことだよ。君がミランを離れるという噂も絶えなかった。
しかし、シーズン終盤のミランの躍進によって、暗い話題はすべて消え去った。


S ―― カルチョメルカートに関してはなんとも言えないけれど、確かに、僕は厳しい状況に追い込まれていた。ミランは勝てないし、僕は出番を与えられなかった。本当に苦しかったよ。ただ、物事は時の経過とともにうまく収まるものなんだ。幸いにして、今回もなんとかうまく収まってくれたという感じだね。

こうして、モンテカルロや日本でのゲームについて語ってくれるということは、今のシェフチェンコの頭の中に、今夏、ミランを去るという発想は少しもないと理解してもいいんだね?

S ―― 僕はそう思ってるよ。少なくとも、現時点で僕がミランを離れる理由は一つもないね。クラブ側も残るように言ってくれてるし、僕もその気なんだから。あとは、いくつかの誤解を解くだけさ。

誤解と言うと?

S ―― これは公の場で言うようなことじゃないと思うけど……。僕は27歳になった。もう4年間もイタリアでプレーしているんだ。僕の能力や特性に関して、もう十分に理解してもらえてると思う。これは、僕個人の利益のために言うんじゃない。あくまで、チームの利益を考えてのことなんだ。僕が言いたいのは、僕のようなタイプのプレーヤーは、ゴール前に張って、ストライカーとしてプレーすべきだということさ。僕が相手ゴールから離れてプレーすることは、チームにとっても不利益だと思うんだ。

今シーズンのミランにはセンターフォワードとしてプレーするタイプの選手が多くいた。攻撃陣全体を見ても、多くのカンピオーネがいた。つまり、それがシェフチェンコの気に障ったということかい?

S ―― とんでもない。そういう意味じゃないんだ。カンピオーネはたくさんいたほうがいいに決まってる。力のある者がポジションをつかむ、そのこと自体には全く異議はないよ。ポジション争いは必要さ。チーム内に競争が多いほど、チームは力をつけることができるからね。もっとも、カンピオーネが多いと、監督が頭を悩ませることは確かだろうな。僕が言いたいのは、単に僕の適性ということなんだ。
EURO2004予選のウクライナの状況は?

S ―― (笑いながら)その話はあまりしたくないんだよね。ウクライナ代表チームには素晴らしい瞬間を体験させてもらった。サッカーの真髄も教えてもらったよ。ただ、多くの落胆を味わったことも確かさ。3回のプレーオフですべて敗退した国なんて他にあるのかな? W杯2回、EURO1回、すべてプレーオフでの敗戦によって、僕たちは本大会出場を逃がしているんだ。本当に頭に来るよね。それに、プレーオフでウクライナを下した国の、本大会での成績を見るとさらに驚くよ。98年W杯のクロアチアは3位、2002年W杯のドイツは準優勝さ。要するに、プレーオフの組み合わせにも恵まれなかったということだよね。

ウクライナ代表、そして、ディナモ・キエフのことに触れるなら、ヴァレリー・ロバノフスキ大佐のことを聞かないわけにはいかないね。

S ―― ロバノフスキが亡くなってから1年ちょっとが経ったけど、今でも彼は僕といつも一緒にいるという感じがするんだ。よく、「ウクライナ代表がシェフチェンコを有名にした」なんて言う人がいるけど、それは間違ってる。僕を有名にしてくれたのはロバノフスキだし、僕を育ててくれたのもロバノフスキなんだ。彼は旧ソ連サッカー界の偉大なる教師であり、ウクライナサッカーの師だった。そして、彼はディナモ・キエフの監督であると同時に、ウクライナ代表の監督でもあった。マンチェスターでの決勝の数日前、キエフに彼の功績を讃える巨大な記念碑が完成したんだ。記念碑の除幕式には、ショコネリーゼ(ロバノフスキのアシスタントを務めた経歴を持つ人物。現在はミランのスタッフの一員として働いている)と一緒に出席するつもりだったんだけど、チャンピオンズリーグ決勝を控えている時期に、チームを離れることはできなかった。だから、式に出席する代わりに、ロバノフスキの家族に手紙を書いたんだ。

決勝が終わった段階で、君はクラブに、ロバノフスキの家族に対して何か言葉をもらえないかと頼んだんだよね?

S ―― ちょっと違うな。決勝を終えた翌日の午後、僕らはマンチェスターからミラノに向かう飛行機の中にいた。機内はすごく賑やかだった。みんな、チャンピオンズカップを手にして記念写真を撮っていたんだ。すると、そこにガッリアーニが来たんだ。ガッリアーニは、僕とレーゾ(ショコネリーゼ)に近づいてこう言ったのさ。「このカップをキエフに持ち帰ってもいいぞ。ロバノフスキの記念碑に捧げてやりなさい」と言ったんだ。僕は感激したよ。もちろん、喜んで申し入れを受け入れたさ。ガッリアーニの心遣いは本当にうれしかったね。


 その数日後、シェフチェンコとショコネリーゼは、キエフのロバノフスキ記念碑に向かっていた。シェヴァはチャンピオンズリーグ優勝の証、ビッグイヤーの“レプリカ”を手にしていた。ガッリアーニは、ビッグイヤーの本物はミランのトロフィールームに保管したが、完璧なコピーを作成させて2人に渡したそうである。ビッグイヤーが本物かレプリカか、という議論に意味はない。その気持ちが大切なのだ。シェヴァは、師匠ロバノフスキにヨーロッパチャンピオンになったことを堂々と報告したことだろう。
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