まずは、監督の“冒険”がどのように始まったのか、そこから聞かせてください。ただ、あまりにも昔のことなので、そう簡単に思い出せと言われても難しいかもしれませんが……。 マッツォーネ(以下M) ―― 何を言ってるんだ。当時のことははっきりと覚えているよ。現役時代、私はアスコリでプレーしていた。大した選手じゃなかったが、キャプテンを任されていてな。引退後、当時会長になったばかりのコスタンティーノ・ロッツィに、テクニカルスタッフとして雇われたんだ。それで、監督がクビになるたびに次の監督への橋渡し役、つまり臨時監督をやっていたのだよ。そうこうしているうちに68年がやってきた。あの年、ロッツィは3人もの監督を解任したんだが、私が代行をやっている時にたまたまチームが勝ち続けていてな、それである日、彼にこう言われたんだ。「カルロ、私はもう科学者のような理屈を言う監督たちに疲れた。今日からお前が監督をやってくれ」。こうして、監督としてのキャリアが始まったんだ。 そして、すぐに結果が出たわけですね? M ―― そう、わずかな期間でアスコリはセリエCからAへとステップアップした。あの時は、アスコリ・ピチェーノの町にティフォージがこんな名前の通りを作ってくれたよ。“via Calcio Spettacolo”(カルチョ・スペッタコロ通り)。スペクタクルなサッカーをやったということの証だよ。すごいだろう? それはすごい。ただ、あなたは35年間、カルチョの名物監督として活躍してきましたが、不思議なことにスクデット争いをしたことは一度もありません。これについてはどう思われますか? M ―― そうだな。いつも残留争いばかりやっているからな。というより、正しく言うならば、自分にスクデットという目標を課したことが一度もなかったと言うべきかもしれんな。私は常にグラウンドの上のことだけを考えてきた。“政治”のことには関心がないんだよ。 ボローニャには3度目の復帰になりましたね。 M ―― 本当に、このチームのティフォージには感謝しなければならない。彼らはいつだって大きな愛情を注いでくれる。それから、もちろんクラブにも感謝している。なにしろ、5シーズン前に勝手に飛び出た私を、もう一度迎え入れてくれたんだからな。 98−99シーズン、あなたとボローニャの間には何があったのですか? M ―― 最終節の後、当時会長だったガッゾーニ(現オーナー。2002年1月に会長職をチポッリーニに譲った)とちょっとしたいざこざがあってな。ただ、今では私もガッゾーニもすべてを水に流している。その後、ガッゾーニもあのシーズンが良いシーズンであったことを認めてくれた。なんせ、あのシーズンのボローニャはコッパイタリアとUEFAカップの両方で準決勝まで進んだんだ。ボローニャにとっては快挙と言っていい成績だ。しかも、非常に良いサッカーをしていた。良いサッカーをした上で、結果を残したのだよ。 だからこそ、ボローニャはこの難しい時期にあなたを再び呼び寄せたんでしょうね。 M ―― 精神的な面から言っても、クラブには感謝しなければならない。ガッゾーニとのいざこざは、私にとって本当に大きな教訓となった。私は自分自身を擁護する時、常にこう言い聞かせているのだよ。「私の中には2つの自分がいる。そして2つの魂がある」とな。監督をやっている時の私の中には、実に厄介な“双子の弟”が出てくるんだ。こいつが本当に厄介者なのだよ。私のイメージをぶち壊すような破天荒なヤツでな、そいつはこの30年間、監督業に没頭してきた愚か者なんだ。おそらく、ずいぶん苦労してきたからそうなってしまったんだろう。私が任されるのは、いつも残留が目標のチームばかりだからな。 上位からカンピオナートを見下ろしてみたいと思ったことはなかったのですか? M ―― 私だって勝つために戦うことが嫌いなわけじゃない。だが、私が追い求めているのは、基本的には“ベル・ジョーコ”(美しいゲーム)のほうだよ。試合の結果よりも、スペクタクルなサッカーをして観客を喜ばせたいんだ。その点、ブレッシャでは納得のいく仕事ができたよ。ロベルト(バッジョ)、グアルディオラ、アッピアー、バキーニ……素晴らしい選手がたくさんいた。98−99シーズンのボローニャもそれに負けない良いチームだったな。 ベッペ・シニョーリがボローニャに来たのもちょうどそのシーズンからでした。 M ―― というより、ボローニャに彼を引っ張ってきたのは私だったんだ。ただ、ボローニャに入団したばかりのベッペのコンディションはあまり良くなかった。彼はこの地で生まれ変わった。誰もが知っている“偉大なカンピオーネ”に戻ったんだ。 あれから5年が経ちました。シニョーリは今もボローニャの重鎮として活躍しています。 M ―― 今じゃ、彼のいないボローニャなんて考えられんよ。ベッペがキャプテンをやっているのは決して偶然じゃない。運動量なんて関係ない。いかに、チーム全体の指針でいられるか、それが大事なことなんだ。それに若手を操る術も心得ている。ベッペには、チームをいつも高い次元に持っていく力があるのだよ。 一方、ボローニャでは入れ違いになったロベルト・バッジョとは素晴らしい師弟関係が築かれています。正直、ボローニャ復帰が決まった時、彼を引っ張ってこようとは考えなかったのですか? M ―― 私とロベルトの間には、真の友情が存在している。彼は偉大なカンピオーネだ。ただ、彼はそれでチームメートに圧力をかけるような男ではない。今シーズンが最後だって? そんなことあるものか! 彼はまだまだサッカーを続けていきたいはずだ。ハンター(バッジョの趣味はハンティング)になるのはまだ早い。彼もボローニャでは良い思いをしたはずだ。もし、私のボローニャ復帰があと2カ月早かったら、彼も喜んで戻ってきてくれていただろうな。 あなたのボローニャ復帰は開幕直前に決まったんでしたね。そのいきさつを教えていただけますか。 M ―― カンピオナートが始まる数日前だった。チポッリーニ会長から電話があったんだ。あの時の会長はやけに慌てていてな。思わずジョークで彼にこう言ったよ。「会長、私にではなく、113番(警察)に電話したほうがいいよ」って(笑)。そのくらい、彼は錯乱していたんだ。ともかく、話があってからすぐに私の監督就任が決まったのだよ。短時間で決まったという点では、まさに記録的だった。世界記録ではないだろうが、それに近いものだっただろうな。 就任要請を受けた後、前任のグイドリンとは話をしたんですか? M ―― 話したよ。とにかく、私は事態を深刻にしないように努めた。ジョークを交えて話したよ。監督にとって、解任を言い渡されることは決して愉快なことではないからな。途方に暮れたような気分になるし、敗北感も募る。穏やかな気分になんてなれるわけがない。だから、彼がパレルモの地で再び仕事場を見つけた時は心からうれしかった。彼には実力がある。きっとパレルモでもうまくやってくれる。 ガッゾーニ・オーナーの話に戻りますが、彼は先日、4年前のあなたの解雇が間違いだったことを認め、「あの時は分別を欠いていた」と言っていました。 M ―― オーナーの心遣いには本当に感謝したい。今は、私をもう一度呼び寄せてくれた彼の気持ちに少しは応えられたかなと思っている。開幕からの数カ月間、良いサッカーができなかった時は町にもクラブにも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。とにかく、これからも努力して、さらに良いシーズンにしていきたい。監督に就任した時、オーナーにはこう言ったんだ。「人々を喜ばすようなサッカーをして、なるべく早い時期に残留を決める」とな。今でもその気持ちは変わらんよ。 オーナーは最近こんなことも言っています。「マッツォーネを失わないように、彼をドゥエ・トーリ(ボローニャの観光名所の一つである2つの塔)にくくりつけておかないと」と。 M ―― うれしい言葉だが、今はまだ将来のことを考える時期じゃない。私はこれまでも、いつも目の前のことだけを考えてやってきた。なんせ、わずか1カ月前までは悪戦苦闘していたんだからな。確かに今は状況は良くなった。しかし、浮かれてはいけない。すべての問題が解決したわけではないんだ。 |
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