子供の頃は勉強が嫌いでサッカーのことしか考えていなかった

まず君のサッカー人生がどこでスタートしたのかを聞かせてくれないかな。

ヤンクロフスキ(以下J) ―― ポーランドとの国境に近い町、チェコのオストラヴァというところで生まれたんだ。子供の頃は勉強が嫌いでサッカーのことしか考えていなかった。僕の家は、いわゆる“サッカー一家”だからね。父のパンドはチェコの1部リーグで、兄貴のドラガンは2部リーグでプレーした。母のリュドミラも大のサッカーファンなんだ。だからプロとしてサッカーを続ける僕を、みんなが応援してくれているのさ。特に父は、年に2、3回はウディネに足を運んでくれているよ。

君自身は故郷とのつながりを保っているの?

J ―― もちろん。毎週月曜日はチェコリーグを生放送で観るために、テレビに釘づけさ。ここ数年、チェコのサッカーはすごくレベルアップした。かつてチェコと言えば、スラヴィア・プラハとスパルタ・プラハだけだった。でも今は違う。他にも多くのチームが飛躍的な成長を遂げているんだ。

君にイタリアでプレーすることを勧めたのはズデネク・ゼマンだったね。

J ―― そう、ゼマンさ。イタリアでは、その評価が真っ二つに分かれる監督だよ。イタリア人の半分は彼を崇拝しているけど、残りの半分は批判している。極端だよね。みんなも知っているとおり、彼は攻撃的なサッカーを信条とする監督さ。常にスペクタクルなサッカーを求めているんだ。残念ながら、僕が彼の下でプレーしたのはわずか数カ月だった。あまり思い出したくないけど、ゼマンは途中解任されて、モンドニコがチームの指揮を執ることになったのさ。

君にとって、ゼマンはどういう監督だった?

J ―― ゼマンはすごく魅力的な人間だよ。カリスマ性もあるし、これまで僕が出会ったどの監督とも違うタイプだ。彼がドーピング問題を巡って宣戦布告したのは、決して行き当たりばったりの行動ではなかったんじゃないかな。長い間考えていたことを実行に移したんだと思うよ。

君は血液検査を求められたら、断らないのかい?

J ―― ドーピング検査は選手の利益につながるものだと思うんだ。違法なことをしていなければ、平静でいられるはずだろ? だから、スパッレッティ監督の「ドーピング検査を拒む者はピッチに上がってはいけない」という言葉にも賛同するよ。

 
ナポリの町は最高だよ 決して忘れることはないんだ

話を変えよう。スクデット争いはどのチームに声援を送っている?

J ―― ユーヴェ、特にパヴェルに声援を送っているよ。ただ、ミランが有利な立場にあるとは思っているけどね。ミランにはカカーという“怪物”がいる。彼は本当にすごい選手だよ。

ユーヴェに行くにしても、他のビッグクラブに行くにしても、今よりはるかに恵まれた契約条件になることは間違いないよね。

J ―― 確かにそうだろうね。チェコ代表の他のメンバーと比較すると僕の給料は安いんだ。だから正直、ビッグクラブと契約して給料を上げたいと思っているよ。

でも、ビッグクラブと言っても給料を払えないチームがあるご時世だからね。

J ―― そのとおり。深刻な問題だよ。サッカー選手が全員裕福だと言える時代じゃないからね。僕だって、ナポリにいた時は6カ月間も給料なしという状態だったんだ。当時すでに妻と娘がいたから、生活に不安を抱いたこともあったよ。

妻ヤナ、娘カロリーナとの穏やかな日常が、
ヤンクロフスキの選手生活を支えている
ナポリのことは、今でも気になる?

J ―― もちろんさ。日曜日にウディネの試合が終わると、すぐにナポリの結果を聞くんだ。ナポリの人々を忘れることはできない。彼らのおかげで僕はイタリアに馴染めたと思っているんだ。ナポリの空港に降り立った時、僕はイタリア語を一言も知らなかった。“Buon giorno”(おはようの意味)とか“Buona sera”(こんばんはの意味)すら言えなかったから、最初は本当に苦労したよ。妻のヤナ、娘のカロリーナもずいぶんと苦労したはずさ。カロリーナが6歳になった今では、時の流れが早いことを実感するよ。

状況さえ許せば、ナポリに残っていた?

J ―― そうだね。ポジッリポの丘の上に立つ家、素晴らしい太陽、サッカーを愛する人々……ナポリの町は最高だよ。ただ、残念なことは、ナポリというチームが、町のレベルに達していなかったということさ。今のようにチームに混乱がある限り、クラブの再建は難しいかもしれないな。


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