フィオレンティーナはセリエBに降格、さらにクラブの破産によりセリエC2からの再出発を余儀なくされました。名前もフロレンツィア・ヴィオラに変えなくてはならなくなりましたが、なぜ、あなたはそんなヴィオラと運命をともにしようと決意したんですか? ディ・リーヴィオ(以下D) ―― 理由はいくつかあったんだ。まず、金は問題じゃなかった。ブレッシャからのオファーを受け入れていたら、収入面でははるかに良かったはずだからね。基本的に僕は頑固者なんだ。だから、あんな状況になった時、チームを放っておくことができなかった。そもそも、セリエBに降格したのは僕たち選手の責任だったから、クラブに対して“借り”があると思っていたんだ。僕はその“借り”をどうしても返したかったし、「フィオレンティーナをセリエAに戻したい」と強く感じたから、オーナーのデッラ・ヴァッレと2年契約を結んだんだ。 そして、そのとおりになりましたね。 D ―― そうだね、本当にうれしいよ。10代のサッカー選手のように、フィレンツェに残ってセリエC2でプレーすると決めた時から、フィレンツェは完全に“僕の町”になったんだ。まあ、家族の希望もあったんだけどね。家族全員が、引っ越し生活に疲れていたのさ。フィレンツェは快適な町で、家族もこの町をすごく気に入っているよ。だから、長くこの町に住もうと決心したんだ。
自叙伝にも、「僕は残る」と書いていましたよね。 D ―― 何が起ころうとフィレンツェに残るつもりだったよ。この町で、僕は素晴らしい思い出を作ることができた。素晴らしい日々を過ごせていると思っているし、人生でも最良の気分を味わっているんだ。サッカーは時々大きな落胆を与えるが、たとえようのない大きな喜びも与えてくれる。僕はフィレンツェで歓喜の瞬間を数多く体験することができたんだ。 最大の落胆は、ローマでFIGC(イタリアサッカー連盟)からフィオレンティーナの破産宣告を受けた時? D ―― あの時は本当にショックだった。その時の僕らは、チェッキ・ゴーリ前オーナーのクラブ再建計画を信じていたんだ。僕も選手全員から集めた救済要望書を持ってFIGCに行ったよ。救済要望書というのは、選手全員がクラブ再建に協力する意志を持っていることを証明するものだったんだけど、実際、そんな書類は何の役にも立たなかったんだ。 でも、最終的にはすべてがうまくいきましたね。 D ―― そう、思いもよらないスピードでセリエAに復帰できた。ただ、「ヴィオラのセリエA復帰にはアンフェアな手が使われた」と、周りから声が上がっているけど、これには納得ができないな。確かに、セリエC1を飛び越えてセリエBに上がれたのはラッキーだった。だけどその前に、経営破綻のツケを降格という形で支払って、セリエC2への強制降格なんて厳しい処置を受けたんだよ。FIGCは、もうちょっと違った形で、フィオレンティーナの処置を考えるべきだったと今でも思っているんだ。まあ、そんなことを今さら言っても何の意味もないけどね。とにかく、悪夢が去ってほっとしているよ。 強制降格になったとはいえ、ピッチ上で実力を証明しましたよね。 D ―― 特に、ヴィエルコウッド体制で臨んだコッパイタリアは、今でもはっきり覚えているよ。チーム内では僕だけが“オヤジ”で、周りはすべてが若者だったんだ。最初はどうなることかと思ったよ。だが、デッラ・ヴァッレは徐々にチームを強化して、勝てるチームにしてくれた。 ヴィオラは勝ち続けましたが、あなたは膝のケガで6カ月の戦線離脱を余儀なくされました。 D ―― 悪夢だったよ。あの時は現役引退も考えたんだ。でも、僕はティフォージにセリエA復帰を約束していたし、何としてもその約束を守りたかった。 精神的にもきつい日々だったでしょう? D ―― 絶望感でいっぱいだった。だけど、その絶望感が、やがて幸福感に変わったんだ。序盤戦は苦戦を強いられたけど、チームは徐々に調子を取り戻したからね。そして、カヴァシンが監督に就任した。ここが一つのターニングポイントだった。その後、フロレンツィアは勝ち続けて、セリエC2を優勝で終えた。優勝を決めた瞬間は天にも昇る気分だったよ。僕たちは、最初の障害を突破したと同時に、セリエA昇格という使命の達成に向けて大きな一歩を踏み出したんだ。僕らは全員、“Serie A stiamo arrivando”(セリエAに到達しつつある)と書かれた白のTシャツを着て昇格を祝ったよ。実は、膝の痛みは治まっていたから、セリエC2の最終戦では何としてもプレーしたかったんだ。結局、大事をとって休んだんだけど……とても悔しかったけど、昇格の喜びでその悔しさも消えたよ。
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