君はイタリアに戻ってきた。そして、ミラノに来て、インテルの一員となった。インテルに加入した気分はどうだい?

ベロン(以下V)― すごく幸せな気分だ。とても満足しているし、親父との奇妙な運命の偶然性を感じている。親父はここで、ミランとインターコンティネンタルカップを争ったんだ。インテルとも何度も戦っている。チームの現会長であるジャチント・ファッケッティがインテルのピッチに立っていた頃の話さ。この前、彼が言っていたよ。「君のお父さんのことはよく覚えている」ってね。親父にはすごく感謝しているんだ。俺が今こうしてプロのサッカー選手として活躍できるのは、すべて親父のおかげだからね。実は、親父の口から「サッカー選手になれ」という言葉を聞いたことはないんだ。親父は最初からすべての決断を俺に任せてくれたんだよ。もっとも、おふくろは俺がサッカー選手になることを反対していた。大学を卒業して、役人になることを望んでいたのさ。

でも、君は父親の足跡を追った。そして、ディエゴ・アルマンド・マラドーナを目標としてサッカー選手の道を歩んでいったんだよね。

V― そう、マラドーナは俺の憧れの存在だった。永遠のアイドルさ。ディエゴとボカ・ジュニオルスで一緒にプレーしたことで、子供の頃からの夢が一つ叶ったんだ。初めてマラドーナのプレーを生で観たのは81年のボカvsエストゥディアンテスだった。エストゥディアンテスには引退間近の父がいたんだ。マラドーナは当時まだデビューしたばかりだったな。それでも、すでにボカのファンに強烈な印象を残していたよ。この試合はボカが1−0で勝って、その1点を決めたのはマラドーナだったんだけど、彼はPKを決めた直後に退場処分を喰らったんだ。20年以上も前のことだけど、はっきりと覚えているよ。

子供の頃の君の話を聞かせてくれるかな。サッカーとの出会いは?

V― 南米の子供なら誰もが同じさ。ストリートサッカーがすべてのスタートだよ。自分の足で歩けるようになった瞬間からストリートでボールを蹴り始めるんだ。生まれて初めてサッカーの試合をしたのは5歳の時、相手は2歳年上のチームだった。それから、ボカの下部組織に入って17歳の時にトップチームに引き上げられた。10代の頃は結構苦労したよ。学校に行かない俺を見かねて、おふくろに働くよう命じられたんだ。あの時はまだ16歳だったけど、タイヤ屋で働いて月給300ユーロ(約4万円)程度を稼いで生活をしていた。働きながらボールを蹴るという生活は結構大変だったよ。

今の君は、当時の額の1000倍以上を稼ぐプロサッカー選手になった。お金に関してどんな考えを持っているの?

V― 敬意を払っているつもりさ。少年時代の経験があるから無駄遣いはできないと思っている。金の重要さは十分に理解しているつもりだ。

マラドーナとボカで一緒だった時の話を詳しく聞かせてくれるかな。

V― マラドーナとはすぐに友だちになれたんだ。彼の娘とも仲良くなった。俺は21歳の時にボカを去ることになったけど、その時は本当につらかった。チームの中国遠征中に俺のサンプドリア行きが決まったんだ。もちろん、チームメートは喜んでくれたさ。ところが、そこで信じられないことが起こったんだ。マラドーナが部屋に来て涙を流してくれたんだ。信じられるかい? 世界に神話を作ったマラドーナが、俺がボカを去ることを悲しがって「さみしくなる。でも、君の選択は正しい」と言ってくれたんだ。「イタリアは素晴らしい国。俺をカンピオーネにしてくれた国だ」とも言われたけど、本当にディエゴの言うとおりだった。イタリアは素晴らしい国だ。イタリアに戻ってくることができて本当に良かったと思っている。

2 / 3