本誌記事 WebCALCiO 2002

去年の今頃、すでにアルベルト・ジラルディーノはイタリアサッカーの将来を担う選手と見なされていた。とはいえ、当時は所詮、パルマの控え選手。出番に飢えた若者に過ぎなかったのである。ところが……。

1982年、イタリアがスペインでW杯を制した年にビエッラで生まれたジラルディーノにとって、03−04シーズンの1年間は激動の日々であるとともに、大きな飛躍の日々であった。

昨シーズンの序盤戦、パルマの主役だった“ブラジルの怪物”アドリアーノはケガで戦線離脱し、復帰した時点でインテルへと移っていった。そして、アドリアーノのケガと“旅立ち”が、若きジラルディーノの未来への門を大きく開いたのである。レギュラーポジションを与えられた彼は、このチャンスを最大限に活かした。セリエAの桧舞台で23ものゴールを量産したのだ。

アッズリーニのエースストライカーとしても、チームをヨーロッパの頂上に導き、さらに、アテネオリンピックでイタリアに銅メダルをもたらした彼の存在は、代表監督に就任したマルチェッロ・リッピの興味を大いにそそるものだったのである。

前任者トラパットーニがためらった若手登用を、リッピは積極的に行った。彼はジラルディーノをアッズーリのレギュラーFWとして認め、前線に据えたのである。そして10月、スロヴェニアでのアウェーの戦いで予想外の敗戦を喫した直後のベラルーシ戦、地元パルマのサポーターの前で、ジラルディーノは本大会への道を切り開くかのような貴重なゴールを決めて、リッピの期待に応えたのだ。

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