本誌記事 WebCALCiO 2002
サブタイトル

よく「過去は過去」、「誰にだって間違いはある」なんて言うよね。君も若い頃に間違いを犯した時期があった。それについては?

F―― 僕が特別悪かったわけじゃない。みんなと同じようなことをしていただけさ。バールで友達とつるんで遊んでいただけ。じゃあ、何かい? サッカー選手になったら、そういう友達とは縁を切らなきゃいけないって言うのかい?

サッカー選手であることは関係ないってこと?

F―― 僕がフィオレンティーナでセリエAデビューを果たした日、20人くらいの知り合いが家に来て僕を町に連れ出そうとしたんだ。そんな状況で一体何を基準に行動しろと言うんだい? それとも、彼ら一人ひとりに「君はどんな人?」と聞くべきだったかな?

君より世間に名が知れている選手の中にも夜遊びしている選手はいるわけだよね。

F―― 今考えると、あの時は誰かに利用されていたんだと思う。僕は地元出身で知り合いが多かった。だけど、いつもの遊び場を変えたくなかっただけさ。何かが起こるたびに僕の名前が出たのは、僕が他のやつらより少しだけ有名だったからだ。それで騒動に巻き込まれてしまった。ただ、何度も言うけど、あれはもう過去のこと。すべて終わったことさ。

その時の友達とは今でも付き合っているの?

F―― だんだん会う回数は減っていった。みんな結婚したり、子供ができたりして忙しくなったからね。僕もここジェノヴァで新しい友人もできた。でも、本当に心の友と呼べるのは、やっぱりあいつらだね。カンピ・ビセンツィオで子供時代を過ごしたパオリーノ、ミルコ、アレ、アンドレア、ロンキオ、あいつら以上の友達はいない。今でも実家に帰った時は、みんなで集まって食事するんだ。

君は今でもフィオレンティーナファン?

F―― もちろん。根っからのヴィオラファンさ。

最近のヴィオラの醜態を見てどう思う?

F―― フィレンツェではすぐに結果が求められる。あそこでプレーするのは容易なことじゃないよ。“怪物”ボジノフにも、すぐにそのことがわかるはずさ。僕もフィレンツェで数年間プレーした。だから、フィオレンティーナ戦(第23節)でのゴールはうれしかったな。きっと、フロントの中で、僕をもう一度獲得したいという人が出てきているんじゃないのかな(笑)。

君はセリエAでは97−98シーズンを含めて6シーズン、フィオレンティーナに在籍したんだよね。でも、出場はわずか40試合ほどだった。

F―― あの頃は、僕のサッカー人生の中で最も苦しい時期だった。96−97シーズンに一時バーリに移籍したんだけど、そこでも結果が出せなかった。故郷から離れてプレーする準備ができていなかったんだ。その後、またフィレンツェに戻ったら、監督がマレザーニになっていた。彼は紳士だったよ。フロントの反対を押し切って、僕をサマーキャンプのメンバーに加えてくれたんだ。でも、その後すぐにエジムンドが来て……僕は再びポジションを失った。そんな中で僕は、98年にアンコーナへと移籍したんだ。あれはあれで良い選択だったと思っている。そして99年、僕はジェノヴァにたどり着いたのさ。サンプでは幸福な日々が僕を待っていたんだ。

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