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パオロ、君にとっての2005年を振り返ってくれるかな?
マルディーニ(以下M)― 密度の濃い1年だった。ほとんどいいことばかりだったけど……手痛い敗戦があったことも確かだね(笑)。 それは5月8日のイスタンブールでのリヴァプール戦のことかい? それとも先日のミラノ・ダービーでの5年ぶりの敗戦のことかな。パオロ、正直に答えてくれよ。そうした敗戦がなければ、君たちにとって05年は最高の年になっていた。そうは思わないかい? M― おそらくね。正直、05年が終わってほっとしているよ(笑)。君が言うとおり、2つの敗戦がなければ05年は本当に素晴らしい年だった。特に、イスタンブールでの試合に負けたのはショックだった。あの試合に勝っていれば、僕らは初の世界クラブ選手権にも出場していたはずだからね。出場していれば、02年のワールドカップ、03年のインターコンティネンタルカップと、いい結果を残せなかった日本の地で、リベンジを果たせていたかもしれない。もっとも、あの2つの敗戦も原因は僕らのミスにあったわけだけど……。 02年W杯でのイタリアvs韓国を裁いたモレーノ主審へのわだかまりはなくなったのかい? M― あれも僕らの責任だよ。あの時、もう少し早い段階で韓国に引導を渡しておかなければならなかった。ああいった状況では得点できる時に決めておかなければ勝つことができないものさ。もちろん、あのW杯は僕にとってもアッズーリにとっても納得できるものではない。前年の冬に大きな故障をしてね。チームに復帰できたのはカンピオナートの終了直前だった。満足な練習ができないままW杯に臨んでいたんだ。正直、調子は良くなかったし、成績もあまりにも不甲斐ないものだった。 大会後、イタリア代表だけでなく君のプレーにも批判が集中した。しかし、その前のシーズン、君が大きなけがに苦しんだことを記憶している人は意外に少ない。01−02シーズンはわずか15試合に出場しただけでシーズンを終えていたんだからね。ところで、君はあの韓国戦以来、アッズーリのユニフォームに袖を通していない。もしかして、あの敗戦のショックが尾を引いているのかい? それとも別の理由が? M― 代表から退いたのは、単純にそうしたかっただけのことさ。当時、僕は34歳。3日に1試合というスケジュールをこなしていくだけの自信がなくなっていたんだ。それに、1年の半分以上を家族と離れて生活することにも疲れ始めていた。だから、これからはミランでのプレーに集中しようと決めたんだ。常に僕を支え続けてくれるミランのティフォージのために、残り少ないサッカー人生を捧げようと思ったのさ。 パオロ、君は今まで本当に多くのタイトルを手にしてきた。そんな君にただ一つ足りないもの、それは代表でのビッグタイトルだと思うんだ。正直、心残りなんじゃないのかな。 M― 確かに残念だね。でも、今となってはどうしようもないよ。僕は今までW杯に4度出場した。それでよしとするべきじゃないのかな。94年にはPK戦の末に敗れたけど決勝でプレーできたんだからね。それから欧州選手権でも3度プレーした。決勝へ進出したEURO2000では惜しいところでタイトルを取り逃がしたけど、大事なことは常に大きな国際大会に参加できたということさ。それで十分だよ。代表でのうっぷんはミランで十分に晴らさせてもらったしね(笑)。 マルチェッロ・リッピ監督率いる現在のアッズーリに復帰しようと考えたことはないのかい? 公の場で招集を匂わせたことはないけど、巷では、君のことをまだ高く評価しているという噂もある。 M― この際だからはっきり言っておくけど、リッピ監督から打診を受けたことは一度もないよ。一度、ある席で彼と代表について話したことがある。確か、彼が代表監督に就任した直後だったかな。その場で彼は僕に「代表に復帰する気はあるのか?」と聞いてきたんだ。その質問にはっきりした形で“NO”とは言わなかったよ。ただ、今君にしたような説明をしただけさ。それ以降、彼が僕に声をかけることはなくなったね。 |
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