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そして2000年夏、今度はカタンザーロに移籍した。 D ― 最初はガウッチ・ファミリーに拾われる形でカターニアに入団したんだ。でも、すぐに「使えない」って言われて、もう一度C2で修行することになった。カタンザーロへはレンタル移籍だったけど、“本格的なカルチョ”の雰囲気を少し味わうことができたよ。カタンザーロのサッカー熱はすごい。セリエCの試合なのに、毎試合2万人もの観客がスタジアムに集まるんだ。あのシーズンも26試合と多くの出場機会をもらった。僕にとって一番大事なのは、“常に試合に出ること”なんだ。そのためならカテゴリーを落としてでも別のチームに行く。とにかくベンチに座っているのが耐えられないタイプなんだよ。もちろん代表は別だけどね(笑)。 01−02シーズンから2シーズンはサンベネデッテーゼに在籍している。ここでのプレーはどうだった? D ― そこもまた、ガウッチ・ファミリー傘下のチームだった。サンベネデッテーゼでは、ステーファノ・コラントゥオノの下でプレーした。彼は僕にとって偉大な指揮官であり、最高の友人でもある。先日のアタランタ戦では、彼の卓越した手腕にまんまとやられてしまったけどね(サンプドリアがコラントゥオノ率いるアタランタに2ー3で敗戦している)。隠す必要もないから言うけど、この夏、彼から「アタランタに来ないか?」と誘われたんだ。それほど彼と僕との絆は深い。もっとも、サンベネデッテーゼではしょっちゅう口論していたけどね。 どんなことで? D ― 当時、サンべネデッテーゼの下部組織を指揮していた彼がトップチームの監督になったのは、01−02シーズン途中のことだった。就任が決まった翌日に彼と大ゲンカをしたんだ。僕が練習に遅れたら、彼が「何をしているんだ!」って怒鳴るんだよ。だけど、僕は「ステーファノ、いつからあんたがトップチームの監督になったんだい?」って息巻いたのさ。実はその前日、クラブが新監督の就任を発表していたんだけど、僕はそれを知らなかったんだよ。あれには参ったな(笑)。 03年夏、君はようやくセリエBに辿り着く。所属チームはカターニアだった。
D ― “南部での戦い”がまだ続いていた頃だよ。ただし、カターニアで過ごしたシーズンは最高だった。27試合に出場できたこともうれしかったけど、セリエBの舞台で8ゴールも決められたことが大きな収穫だった。得点へのこだわりは昔からあったんだ。今でもゴールを狙うのは好きだけどね。 04−05シーズンはセリエBのペルージャで33試合に出場。そして、その翌シーズンにレッチェで待望のセリエAデビューを果たしたんだよね? D ― 04−05シーズン終了後、今度はペルージャが倒産した。僕にとって所属クラブが倒産するのは、バルレッタ時代に続く2度目の経験だった。そんな僕にサンプが救いの手を差し伸べてくれたんだ。ただし、サンプの首脳陣は契約後すぐに僕をレッチェにレンタルに出した。レッチェでは降格を経験したけど、僕自身はいいシーズンを過ごせたと思っている。自分がセリエAで通用する選手であることを証明できたからね。でも、この夏、再びサンプに戻ってきてサマーキャンプに参加した時には、正直、「やばい」と思ったよ。僕がセリエAで上位を狙うチームでプレーするのはまだ早い。開幕前はそんなことばかり考えていたんだ。 でも、今回はチームを変えなかった。その理由を教えてくれないかな? D ― 今年の夏、コラントゥオノが指揮するアタランタ以外で、僕を熱烈に欲しがってくれたのはナポリだった。ナポリは大勢のファンを抱える南部最大のクラブだ。フロントの経営方針も本当にしっかりしていた。正直、「ナポリに行こうかな」と考えたこともあったよ。でも、それを思いとどまらせたのはノヴェッリーノ監督の言葉だった。彼は僕を必要としていると言ってくれたのさ。監督から必要とされているのにチームを変える必要はない。現在のサンプは、堅実なプロジェクトの下でチームを強化している。しかも、ブルーチェルキアーティのユニフォームは、僕の子供の頃からのあこがれでもあったんだ。僕の少年時代のアイドルはトニーニョ・セレーゾだったからね。 |
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