本誌記事 WebCALCiO 2002
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マルコ、君がベオグラードで決めたヘディングシュートには誰もが驚かされたよ。この夏、ミランが君を欲しがったのは、もしかしてその得点力に目をつけたからなんじゃないかな(笑)。

アメーリア(以下A)― どうだろうね。ただ、ジェーネ・ニョッキ(フィデンツァ出身のコメディアン。テレビや新聞などでサッカー評論をしている)がある新聞で同じようなことを書いていたな。もちろん、彼独特のユーモアを利かせてね。確か、こんな感じだった。「ミランとリヴォルノはFW同士をトレードすればいい。トレード要員はミランがリカルド・オリヴェイラで、リヴォルノはもちろんアメーリアだ!」って(笑)。あれには思わず笑ってしまったよ。

GKとしてゴールを決めるというのはどんな気分だった?

2006年11月2日、UEFAカップのパルティザン・ベオグラード戦でアメーリアはゴールを決めるという”快挙”を成し遂げた

A― 実を言うと、あの時はやれそうな気がしていたんだ。「絶対にやれる」って思いながら相手ゴール前に上がっていったよ。すべてが一瞬の出来事だった。パルティザン・ベオグラード戦は何があっても負けたくないという気持ちで臨んだ試合だった。とんでもない長旅をして、しかも相手側の受け入れ態勢も最悪で、その上、先制までされた。そんな中、終了間際に僕らがFKのチャンスを得たんだ。スコアボードを見ると、時計の針は後半41分を指していた。「これはもう上がるしかない」って思ったよ。ただし、ゴール前に上がっていく時の僕の耳に聞こえてきたのは、チームメートの怒号だけだったけどね。

みんなどんなことを言っていたんだい?

A― 「おい、マルコ、何をやっているんだ。自分のポジションに戻れ!」って言われたよ。でも、僕にはゴールを決める自信があった。だから、「いいから、おれのところに放り込め」って大声で怒鳴り返したんだ。そうしたら本当にゴールを決めてしまったよ(笑)。

君はまだ24歳だ。それなのに今まで多くのことを経験してきた。00−01シーズンには、第3GKながらローマの18年ぶりのスクデット獲得に貢献し、今年の7月にはアッズーリの一員としてワールドカップのチャンピオンになった。そして、今回のヘディングでのゴール。自分自身のサッカー人生をどう思う?

A― できればそこにアテネ五輪で銅メダルを獲得したこともつけ加えてほしいな。五輪でアッズリーニがメダルを獲得したのは68年ぶりのことだったんだからね。

それもあったね。そう考えていくと、君のこれまでのサッカー人生は本当に内容の濃いものとなっている。

A― 自分ではあまり意識していないけどね。過去は振り返らない主義だから。今はとにかく前だけを見つめながら進んでいきたい。サッカー人生を振り返るのは引退してからでも十分だよ。サッカーでは過去の実績なんて関係ない。大切なのは、明日いかに良いプレーをするか、それだけさ。僕はこれからも常に新しい目標に向かってプレーし続けたい。目標を1つ達成したら、すぐに次の目標を探す。そんな風に人生を過ごしていきたいんだ。

しっかりしているね。まるでドイツ人みたいだ(笑)。

A― そうかな? でも、まじめな話、そういう気持ちが必要なんだ。サッカーというのは、ある意味、単純なスポーツ。選手の日常も練習と試合の繰り返しでマンネリ化しやすい。そういった環境の中でモティベーションを保つには、常に自分自身を鼓舞する必要がある。それがサッカー選手としてやっていくために必要なことさ。例えば、偉大な先輩、ミランのパオロ・マルディーニやアスコリのジャンルーカ・パリウーカのことを考えてみてよ。彼らは20年間この世界で戦い続けている。それは子供の頃のようなサッカーへの情熱やハングリー精神を持ち続けていなければ決してできることじゃない。

つまり、常に向上心を持って目標に向かって邁進するということかい? もう一度言うよ。君はやっぱりドイツ人だ(笑)。

A― 僕は“生まれながらの天才”じゃない。例えば、ジャンルイージ・ブッフォンは16歳でセリエAデビューを果たした。しかも、相手はあのミラン。彼のような選手を本物のスターというんだよ。スターは最初からスターなのさ。一方、僕はカルチョの階段を一段一段上がってきた男だ。レンガを一つ一つ積み上げて、ようやく自分の城を築き上げてきたような人間さ。そう、たくさんの監督から少しずつ色んなことを学びながらね。スペルキ、クインティーニ、ネグリソーロ、そして、タンクレディ。特に、タンクレディからは本当にたくさんのことを教わった。当時、僕は18歳で、サッカー選手として難しい時期を迎えていてね。何もかも上手くいかなくて腐りかけていたんだ。そんな僕に向かって、監督はいつも「あきらめるな」と励まし続けてくれたんだよ。

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