2002年W杯制覇を目論むスペイン代表の至宝、
そして幾度も頂点を極めているレアル・マドリーの不動の7番。
まだ23歳という若さながらすでに多くの富と名声を手に入れている
ラウール・ゴンサーレス・ブランコが、『グエリン・スポルティーヴォ』の記者に、
その胸の内とセリエAで活躍するカンピオーネについて語った。

文●マッテオ・マラーニ text by Matteo MARANI
写真●赤木真二、グエリン・スポルティーヴォ
photo by Shinji AKAGI/GUERIN SPORTIVO

楽しかったローマの休日、昨夏のサルデーニャでのバカンス……。
イタリアでの日々を懐かしそうに語ってくれたラウール・ゴンサーレス・ブランコ。
スペインの“キング”と呼ばれる男は、礼儀正しく、気さくで、しかもイタリアに関して大いなる興味を示してくれた若者であった。

「あなたがたイタリア人はとても魅力あふれる素晴らしい国民です」と、かすれるような声ではにかみながら話す。見るからに内気そうな性格。それは時として、スペインのマスコミが批判の的にする性格でもあるのだが……。しかし、ふだんの彼は、君主としてのワガママさや暴君ぶりをいっさい捨て去り、一般人と同じレベルの、平穏で素朴な生活を送っている。

ラウールは妻のマメン・サンスと街を散策する。彼にとって“芸術”であり“情熱”そのものでもある闘牛を観に行き、闘牛士エンリケ・ポンセと会話を交わしたりもする。しかし、その他はというと……マドリッド郊外に買い求めた家で家族と静かな時間を過ごすだけなのである。

マドリッドのビージャ・ベルデの有名な一角、コローニア・マルコーニで生まれ育った少年が、バスでレアルのシウダ・デポルティーバ(レアルの練習場)に通い始めてからかなりの年月が経過した。

「15歳の頃でした。1986年のW杯メキシコ大会でのブトラゲーニョとマラドーナのプレーに感動したんです。彼らのようなプレーを夢見ていました。でも、あの頃の僕にとってサッカー界で生きていくなんてまるで“蜃気楼”のようなものだったんです。それが、今では僕の人生そのものなのですから。僕は現在、幸せに満ちあふれた人生を送っています。スペインのメディアが書き立てるような“さみしい男”なんかじゃありません。周囲から受けるひどいプレッシャーが僕を殻に閉じ込めてしまっているだけなのです。この世界で、心のバランスを保っていくことは簡単ではないのです。僕は人間ラウールとしての夢はすでに実現しています。それは子供を持ち、日に日に成長する姿を見つめること……かつて父が僕にしてくれたように、息子を教育したいのです」

父親ペドロはラウールの人生にとってかけがえのない人物であった。

「そう。僕にサッカーを教えてくれたのは父なのです。
 それだけじゃありません。彼は僕に働くことの意義を教えてくれたのです」

父ペドロもラウールも、実はレアルのライバル、アトレティコ・マドリーのティフォージであった。

「否定はしませんよ。僕の家族が代々アトレティコのファンだったのは事実ですから。僕だって最初はアトレティコの下部組織に入っていましたからね。15歳で、レアルに入った時は本当に萎縮しました。だって、すごい選手ばかりだったんですから」とラウールは相変わらず穏やかな口調で話し続けた。
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