本誌記事 WebCALCiO 2002

サブタイトル

開幕からここまでを振り返ってどう?

ロジーナ(以下R)― どうして、こんなにいろいろなことが次から次と起こるんだろう? 僕にとってもチームにとっても、本当に難しいシーズンになってしまった。パレルモ戦とアタランタ戦、ホームで勝てなかったことで状況はさらに厳しくなった。どうやら、最後の最後まで残留争いに巻き込まれることになりそうだよ。

チームはともかく、君自身は好調だろう? エースとして活躍しているし、ゴール数だってチームトップだ。

R― 確かにゴール数は伸びているけど、僕がゴールを挙げる時は、チーム全体が機能している時だ。決して僕一人で積み重ねてきた数字ではない。

キエーヴォ戦では、君はベンチ入りのメンバーからも外されてスタンドからゲームを観戦することになった。しかも、結果は0−3でトリノの完敗。あの事件についてはどう思っている?

R― 今でも苦い思い出だよ。チームが苦しんでいるのを見ているしかなかった。

ただし、自分の犯した過ちに気づく良い機会になったのでは?

R― 監督の指示に従ったまでのことさ。あの敗戦の後、ザッケローニ監督が解任されたことについては、何も言うことはない。ただ、故障でもないのにベンチから外されたというのはショックだったね。

原因は、君の個人HPの「採点表」のコーナーで、監督と何人かの選手に“ひどい点”をつけたからだと聞いたけど?

R― HPの運営に関しては、友人のグラフックデザイナー、マウリツィオと叔父のアンセルモに任せている。それまでは誰も何も言ってこなかった。つまり、ニュースになるようなものじゃなかったんだ。ところが、チームの調子が落ち始めた途端、「あれは何なんだ!」ということになった。もちろん、すべての責任が僕にあることは理解しているよ。マウリツィオはトーロの熱狂的なティフォージでね。ああいう騒動で最も傷ついたのは彼なんだ。

あの混乱は突発的なものだったと?

R― 一種のパニック状態だった。それまで僕のHPへのアクセス数は、週に1万3000くらいだった。ところが、あの時だけは5万件以上のアクセスがあったんだ。まさに炎上という感じだったよ。

正直に答えてくれよ。ザッケローニ監督との関係はうまくいってなかったの?

R― そんなことはない。考えても見てよ。彼の下で、僕は最も好きなトップ下のポジションをもらっていたし。やりにくいということは全くなかった。ただ、残念なことに、チームの調子が一向に上がらなくて……それでいろいろなことを言われるようになったんだよ。「ザッケローニの練習はダラダラと長すぎる」という批判があるという噂が出たよね。新聞記者の何人かが、その批判の出所が僕だと主張し始めたんだ。もちろん、全くのデタラメさ。もう一度言うよ。僕とザッケローニの関係は決して悪くなかったんだ。

ザッケローニ更迭後、開幕直前に電撃解任されたジャンニ・デ・ビアージがチームに戻ってきた。

R― 彼とは、昨シーズン一緒にセリエBを戦った。何度かベンチに下げられたこともあったけど、お互い気心は知れているよ。

ところで、パルマ時代の監督、プランデッリについてはどう思う? 彼も君にあまりチャンスを与えなかった指揮官だけど?

R― チャンスを与えなかったなんて、とんでもないよ。プランデッリは、僕をセリエAにデビューさせてくれた恩人だ。忘れもしない。2003年2月のユヴェントス戦。あの日は、兄貴のファブリツィオがタルディーニに来ていたんだ。でも彼は、興奮して座っていられなかったそうだよ。ロジーナ家の中では最も冷静沈着な兄貴がね。とにかく、プランデッリ監督との関係は決して悪くなかった。僕がゲームに出られなかったのは、FW陣のポジション争いがあまりに激しかったからさ。当時のパルマには、ムトゥ、アドリアーノ、ジラルディーノ、モルフェオがいた。そう簡単にチャンスをもらえる状況ではないって、この顔ぶれで分かるだろう?

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