|
|
監督を別にして、恩人と言える人はいる? R― うん、特に親父のアルフォンソと叔父のアンセルモがそうだった。2人は、僕の出場するゲームを、ほとんどすべて観戦している。そう、少年時代からずっと。下部組織時代の苦しかった時期にも、2人はずっと僕の側にいて励まし続けてくれた。それから、僕には、もう一つの心の支えがある。カラーブリア人としての誇りだよ。 カラーブリア人としての誇り? R― うん、僕もそうだけど、カラーブリア人は頑固なんだ。ミランのガットゥーゾも同郷なんだよ。僕らの最大の武器は、ガッツと粘り強さだ。パルマの下部組織にいた頃、ほとんど試合に出してもらえない時期があってね。その時、僕はいつでも自分が子供の頃プレーした実家の近くのサッカー場のことを思い出していた。「いつか必ず這い上がってやる」と心の中で呟きながらね。もしかすると、兄弟の仲で一番粘り強かったのは僕かもしれない。 実家近くのサッカー場が君の原点ってわけだね。どんなところだったんだい? R― チッタデッラ・デル・カーポの実家のすぐ脇にある小さなグラウンドでね。もちろん、芝生なんかないよ。埃まみれの土のグラウンドさ。もっとも、僕らカラーブリア人にとってはそれが普通なんだ。昔は、芝生のサッカー場は北部にしかないものだと思っていたくらいだからね。だから、僕が初めて芝のピッチに立ったのは、パルマの下部組織のセレクションだった。あの時は本当にうれしかった。芝の感触だけで舞い上がるんだから、かわいいものさ。そんな僕が、アッズリーニの一員としてイングランドのウェンブリー・スタジアムでプレーした。もちろん、サッカーの聖地の芝生の感触は最高だったよ。しかし、13年前にパルマで味わった感動はそれ以上だったと思うな。 パルマのセレクションに落ちていたら、今の君はいなかっただろうね? R― そうだね。当時の僕はまだ10歳だった。入団が決まった後、すぐにクレモナ県のカザルマッジョーレに引っ越してきた。カザルマッジョーレはクレモナに属する町だけど、距離的にはパルマに近いんだ。引っ越してきたのは、僕だけじゃない。イタリア国鉄で機関士をしている父親のアルフォンソ、専業主婦をしている母親マリーア、そして兄のフランチェスコとファブリツィオも一緒にカザルマッジョーレにやってきたんだよ。もっとも、親父は仕事の関係で北と南を往復していたけど。
カザルマッジョーレで君が得たものは? R― 多くの人との貴重な出会い。恋人のアンナに出会ったのも、カザルマッジョーレだった。工業高校の同級生でね。ちなみに、僕は情報管理科を卒業しているんだ。当時からサッカーで生きていくつもりだったけど、卒業だけは絶対にしようと心に決めていた。理由? フランチェスコとファブリツィオに負けたくなかったからさ。 兄さんとの競争? R― そう、フランチェスコは高校を卒業して、親父と同じイタリア国鉄に就職した。ファブリツィオは、パルマ大学の法学部を卒業したところ。つまり、それぞれが違う分野で頑張っているんだ。僕の専門はサッカーだけど(笑)。子供の頃から、何をやるにも兄貴たちに負けたくなかった。それが、今の僕の粘り強さを作ったんだと思う。 君自身が新しい家庭を持つ予定は? R― アンナとは時々、結婚の話をするよ。彼女は僕に会うためにわざわざトリノまで来てくれる。でも、僕はまだ23歳だからね。今は仕事に集中したい気持ちもある。急いでも仕方がないしね。子供ができたら? 僕が両親から教わったことを彼らにも伝えたいと思う。 例えば? R― 教えるってことでもないかな。つまり、彼らの自由を尊重してあげたいんだ。よくいるだろう? 子供を有名にしたい一心で、何をするにも口を出している親が。間違っても、ああいう風にはなりたくないんだ。ウチの両親は、子供たちの自由を認めてくれた。子供たちを尊重して、必要な時だけそっと手を差し伸べてくれたんだ。僕が近所のサッカー場で暗くなるまでボールを蹴っていられたのは、両親の理解があったからだと思う。いい話だろう。でも、舞台がね……。あのサッカー場はお粗末だった(苦笑)。南部には北部みたいな立派な施設がほとんどないんだよ。 | ||||||
| 3 / 4 |