文●オマール・ボニーノ text by Omar BONINO
写真●兼子愼一郎、赤木真二、グエリン・スポルティーヴォ
photo by Shin-ichiro KANEKO/Shinji AKAGI/GUERIN SPORTIVO

フィオレンティーナのチームリーダーとして過ごした9年間で、彼は1度のコッパイタリアと1度のイタリア・スーパーカップを手にした。しかし、彼が考えていたビッグタイトルとは全く縁がなかった。“無冠の帝王”というありがたくないニックネームももらった。そして、昨夏、彼はスクデットを求めてローマに移ったのだ。

1991年の夏、彼は妻のイリーナとともにイタリアに上陸した。長髪をなびかせ、子供のあどけなさを浮かべながら、新世界に度肝を抜かれたような表情が印象的であった。その時からずっと彼には大きな目標があった。それがスクデットである。そして、ローマでの初年度に彼は夢にまで見たスクデットを手にしたのである。

彼はフィレンツェでゴールを量産した。だが、ヴィオラに愛されることを除けば、得るものはわずかでしかなかった。だが、ローマでのプレーは違った。彼のゴールが直接勝利に結びついたのである。リーグ戦での20ゴールのすべてがローマの勝利に、そしてスクデットへと通じていたのである。かつてナポリの地にマラドーナのカリスマが宿ったように、ジャッロロッソにはアルゼンチンの神話が息づいていた。代表ではすでにディエゴのゴール数を上回っている男、“バティゴール”のスクデット神話が生まれたのだ。
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