本誌記事 WebCALCiO 2002

チャンスがやって来るその一瞬を逃してはならない。そして、もし幸運が近づいてきたら、すぐに引き寄せ、逃さないようにしておかなければならない。

リヴォルノのFWフランチェスコ・タヴァーノは、数年前にまるでリヴォルノ海岸の砂のように手からこぼれ落ちていった幸運を、もう一度その手に引き寄せようとしている。彼は今度こそ逃さないつもりだ。なぜなら、もし“今”を逃したら、新たなチャンスはもう訪れないかもしれないからである。

今年の3月に29歳の誕生日を迎えたタヴァーノをベテランと呼ぶにはまだ早すぎる。だが、彼が歩んできた道のりは険しいものだった。タヴァーノは10代の頃から“天才”と呼ばれてきたが、彼のここまでのサッカー人生は決して平坦なものではなかったのだ。

偉大なカルチョへの出発点は、当時ルチアーノ・キアルージが監督を務めていたフィオレンティーナのプリマヴェーラだった。好選手が揃っていたヴィオラの下部組織で、タヴァーノは“チッチョ”というニックネームで呼ばれていた。“チッチョ”は当時からハイレベルなテクニック、天性のファンタジーア、鋭いゴール嗅覚を兼ね備えた、優れたセカンドストライカーだった。しかし、当時ヴィオラを指揮していたクラウディオ・ラニエリ、アルベルト・マレザーニ、ジョヴァンニ・トラパットーニからトップチームに招集されたことは一度もなかった。タヴァーノは言う。「当時のヴィオラには、バティストゥータやルイ・コスタ、エジムンド、オリヴェイラといった優れたFWがたくさんいた。そんな状況で当時10代だった僕が、どうやってチャンスをつかめばよかったというんだい?」

タヴァーノは1999年夏、出場機会を得るため、当時セリエC1に所属していたピサに移籍。そして、99−00シーズン途中からフィレンツェのセカンドチーム、ロンディネッラ(セリエC2)に移り、1シーズン半レギュラーとしてプレーした。

そんな彼に転機が訪れるのは2001年夏、セリエBのエンポリに移籍してからだ。エンポリでの5年間は、タヴァーノにとって本当に素晴らしいものだった。2度のセリエA昇格と2度のセリエA残留。05−06シーズンにはセリエAで19ゴールを挙げる活躍も見せた。そんな彼にリーガ・エスパニョーラの強豪バレンシアが目をつける。こうして06年夏、タヴァーノは1000万ユーロ(約15億円)もの移籍金をエンポリに残してスペインへと旅立った。

ところが、その高額な移籍金はまるでタバコの煙のように霧消する。当時のバレンシアの監督、キケ・サンチェス・フローレスがタヴァーノを重用しなかったからだ。鳴り物入りで加入したものの、開幕から出場機会はほとんどない。スペインでの半年間は、彼にとって“苦難の日々”以外の何物でもなかった。

そんな彼に、イタリア復帰の話が舞い込む。07年1月、ローマが彼の獲得に動いたのだ。捲土重来を期すタヴァーノにとって、名将ルチアーノ・スパッレッティ率いるローマは最高の仕事場と思われた。ところが、14試合に出場したものの、肝心のゴールはわずか2。完全復活と呼ぶにはほど遠い内容だった。

しかし、カルチョの神様は“チッチョ”を見捨てなかった。昨夏、エースのクリスティアーノ・ルカレッリを放出したリヴォルノが、その穴を埋める選手として点取り屋を探していたのだ。リヴォルノ加入後、タヴァーノはすぐにチームに順応し、前半戦だけで9ゴールを挙げる活躍を見せた。タヴァーノ自身も「できれば引退までリヴォルノでプレーしたい」と、新天地を大いに気に入っているようだ。ただし、その言葉を鵜呑みにしてはいけない。ビッグクラブへの野心は、まだあの小さな体の中に残っているはずだ。

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