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ガブリエル、君にとってフィレンツェはどういう意味を持っているのだろうか? バティストゥータ(以下B)―― 一言では説明できないな。フィレンツェに着いた頃、俺はまだガキだったけれど、大人になって町を出た。ということは、俺はフィレンツェの町で育ったということなんだ。フィレンツェでは笑いもしたし、涙も流した。フィレンツェの町で3人の子供も授かった。フィレンツェで一生暮らそうと何度も思ったよ。
B ―― 本当にありがたく思っているよ。スタディオ・フランキ(アルテミオ・フランキ)のクルヴァの一角に俺の銅像を建ててくれたんだ。本物の銅像だよ。あれは晴れた日だったな。ピッチに入って、クルヴァを見るとそこに銅像があったんだ。俺がそこに近寄るとみんなが拍手してくれて……感激したよ。あの感激は一生忘れないだろうな。 なぜ、それほど愛したフィレンツェの町とヴィオラのティフォージから離れる気になったの? B ―― フィオレンティーナのチーム強化策を信じる気になれなくなったんだ。俺は、長い間、いつかはフィレンツェで何かタイトルが獲れるようになると信じていたんだ。だが、それが幻想だったということを知ったんだ。俺もずいぶん歳を取ったから、これ以上は待てないと思ったのさ。フィオレンティーナとファンにはすまないと思っている。だが、俺がフィレンツェでプレーを続けるためには勝つための具体的なプランが必要だったんだ。ローマのセンシ会長やカペッロ監督みたいに具体的なプランを示して欲しかったんだ。 君とチェッキ・ゴーリ会長の間には何かあったのかい? なぜ2人の人間関係は崩れてしまったのかな? B ―― 人間関係は難しい。だけど、チェッキ・ゴーリとはうまく行っていたと思うよ。問題は、ほとんど彼と向かい合って話す機会がなかったということさ。実際、俺のローマ行きが決まる前に、俺がチェッキ・ゴーリとケンカしたとか、怒鳴り合ったなんてことはなかった。彼は俺のローマ行きを認め、俺はフィレンツェを出た、ただそれだけのことだったよ。フィレンツェにいた時に、俺は彼に多くのものを与えたと思うし、彼も俺に多くのものを与えてくれた。彼がローマに来たら、もちろん、会って食事をしたいよ。 フィオレンティーナ、もしくは、チェッキ・ゴーリ、もしくは、君の親友アントニョーニ(GM)にアドバイスを送るとしたら? B ―― アドバイスなんかとんでもないよ。俺の柄じゃない。でも、フィオレンティーナには頑張って欲しいと思ってるよ。フィオレンティーナとローマでスクデット争いができたら最高だと思うね。チェッキ・ゴーリには、今までどおりファンみたいな会長(チームを心から愛する会長)でいてくれることを願っているよ。あえて言わせてもらうなら、取り巻き連中に気をつけろ、ってところかな。それと、アントニョーニにはぜひとも言っておきたいことがあるんだ。俺は確かに多くのゴールを決めた。ファンは俺のために銅像まで建ててくれた。だが、ヴィオラファンにとって最大のヒーローはアントニョーニだよ。彼こそ、フィレンツェが最も愛したカンピオーネなんだ。 ジャッロロッソのシャツを身に付けてスタディオ・フランキでプレーするのはどんな感じだろう? B ―― どんな感じだろうね? 複雑な気持ちだな。プロのサッカー選手ならば、こういうことがあり得るってわかってはいるけど、やっぱり複雑な心境だね。あのピッチはまだ俺のピッチなんだよ。口だけじゃないんだ。実際にそう思っているんだよ。だから、たとえゴールを決めても素直に喜べないと思う。俺とフィレンツェの結婚生活は長くて幸せだった、ということをローマのファンにもわかって欲しいんだ。夢みたいな話だけど、俺がフランキでゴールを決めた時に、もしヴィオラのファンが拍手してくれたら、俺にとって最高のプレゼントになるだろうな。 フィオレンティーナのチームメイトとまだ連絡を取り合っているの? B ―― ルイ・コスタとは時々、電話で話しているよ。彼とは家族ぐるみのつき合いだからね。ルイ・コスタは「チームが若返った」って言ってたよ。 フィオレンティーナでの9シーズンで最もうれしかった瞬間は? B ―― たくさんあったよ。コッパ・イタリアで優勝した時に、スタディオ・フランキに凱旋したんだ。スタジアムには3万人のファンが集まってくれたんだよ。そして、ファンと共に夜を明かしたんだ。素晴らしい思い出だよ。サンシーロでのイタリア・スーパーカップで、俺が2ゴールを決めて勝利を収めたことも最高の思い出だね。ただ、悲しいこともたくさんあった。セリエBに降格した時は、心臓をナイフでつき刺されたような感じだった。マリオ・チェッキ・ゴーリ(チェッキ・ゴーリ現会長の父親)が亡くなった時もショックだった。彼は選手にとって父親のような存在だったから。 | ||||||||
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