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ブラジル人はサッカーでは常に
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| アドリアーノ 激しい当たりにも動じない強靭なフィジカルと柔らかなボールコントロール技術を兼ね備えており、ゴール感覚も抜群。左足のパワーには絶対の自信を持っており、迫力あるシュートでゴールを量産する。7歳からフラメンゴの下部組織でプレーしていたアドリアーノがインテルに加入したのは01年夏のこと。当初は経験不足で出番を与えられなかったアドリアーノだが、マンチーニ監督率いるフィオレンティーナにレンタル移籍して頭角を現し、02年からプレーしたパルマでブレイク。この頃からブラジル代表にも定着し、現在はセレソンの主軸へと成長した。世界最高のFWの一人と評価されているが、まだ23歳。最近はチームプレーの面での向上が顕著である。 |
A― そう、高いところを飛べば飛ぶほど、落ちた時の衝撃は大きいものさ。
セレソンが負けた時のことで、何か覚えていることはあるかい?
A― あいまいな記憶しかないんだけど、90年のイタリア大会の時のことを覚えている。確か、準々決勝でアルゼンチンに負けたと思うんだけど、僕らにとってはW杯敗退と宿敵アルゼンチンに負けたという二重のショックだったんだ。逆に、94年のアメリカ大会には感動的な思い出がある。イタリアとの決勝はPK戦になった。あの時のPK戦は見ていられなかったよ。あれほど緊張しながらゲームを見たことはなかった。呼吸ができないほど緊張して、固唾を呑んでテレビを見つめていたよ。すごく緊張をした分、喜びもものすごく大きかった。ロベルト・バッジョが外した瞬間、喜びが爆発したよ。あの時、僕は12歳だった。道路に人が溢れて、みんなが大騒ぎしていたのを記憶している。花火が打ち上げられ、みんなが狂喜乱舞していたんだ。
82年のスペイン大会、君はまだ生まれたばかりだったよね?
A― まさに生まれたばかりの頃さ。でも、あの時のことは人から聞いて知っている。あの頃のブラジル代表は、今のブラジルに似ているのかもしれない。当時の代表にはブラジルサッカー史に名を残すようなスター選手が集まっていた。ジーコ、ファルカン、ソクラテス……すごい顔ぶれだったよね。でも、イタリアにやられてしまった。子供の頃の僕にとって、イタリアは悪役だったんだ。イタリアが憎かったよ。そのイタリアで今、サッカーをしているんだから、人生は分からないもんだよね(笑)。
50年のW杯の話は聞いたことがないかい?
A― ブラジル人でそのことを知らない人はいないよ。ブラジルでは、親が子供におとぎ話を聞かせるようなことはしない。おとぎ話の代わりにセレソンの話をするのさ。50年のW杯の話は親父から聞いたよ。もっとも、親父は、おじいちゃんからその話を聞いたんだけどね。決勝でウルグアイに敗れた時の話は、ブラジルではあまりにも有名だ。ウルグアイに負けた後、多くの人が自殺したなんていうのは考えられないことだけど、事実なんだからね。サッカーの勝敗だけで死を選ぶ人が出るなんて理解できないけど、ブラジルではそれほどサッカーが重要で、セレソンが大きな意味を持っている。ブラジル国民にとって、ウルグアイは負けるはずのない国だった。だからこそ負けた時のショックが大きかったんだ。あの時、ブラジル人は、「絶対に勝てるゲームなんて存在しない」ということを学んだはずだった。でも、ブラジル人がその教訓を生かすことはあり得ないんじゃないかな。ブラジル人はサッカーでは常に“世界一”でなくてはならないのさ。過去もそうだったし、これからもずっとそうなると思う。
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