実は、僕がセリエAに
デビューした時は
サイドバックだったんだ。

サンドロ、昔の話から始めようか。
イタリアがW杯を手にした時のことだよ。スペイン大会のことさ。サンティアゴ・ベルナベウでの西ドイツ戦で3−1の勝利。あれは1982年7月11日の出来事だったけど、君はあの時、何歳だったの? あの日のことって何か覚えている?


ネスタ(以下) ―― ゲームのことはほとんど覚えていないな。でも、その後のお祭り騒ぎはよく覚えているよ。クラクションが鳴り響き、たくさんの人が道路で騒いでいた。サッカーでの勝利がこれほど大きなものかと子供心にも感じていたな。ローマの町はイタリア国旗であふれていて、バルコニーにも国旗が掲げられていたし、1試合勝つたびに大騒ぎしていたという感じだった。もっともそれがW杯での出来事だって知ったのはずっと後のことだったけどね。今でも、パオロ・ロッシのゴールに家中が雄叫びを上げていたのを覚えているよ。僕は床に寝そべりながらTVを観ていたと思うんだけど。

子供の頃、君の憧れの選手は誰だったの?

 ―― ちっちゃな頃はFWだったんだけど、その頃は具体的に誰かに憧れるということはなかったな。ちょっと大きくなってから、DFに回されたんだよ。最初はサイドバック、それからセンターバックって具合にね。具体的にプロ選手のイメージを持ってプレーするようになったのはその頃かな。シレアとバレージのプレーを脳裏に焼きつけて、常に頭を上げてプレーしていたし、激しいタックルをかましていたな。その頃の僕にとって、2人のプレーはDFの教科書みたいなものだったからね。

マルディーニを見本にしたという話も聞いたことがあるんだけど。

 ―― プリマヴェーラでプレーしていた頃の目標はマルディーニだったよ。実は、僕がセリエAにデビューした時はサイドバックだったんだ。右も左もやったよ。その頃(80年代後半)、マルディーニはまさに世界最高のサイドバックだったから、憧れてたよ。彼は汚いファウルは決してしないし、身体的にも強かったし、スピードとオーバーラップのタイミング、テクニック、戦術眼、いずれをとっても最高だったからね。マルディーニのプレーこそ、まさに、僕の理想だったな。

これまで、何回かW杯を視聴者として観てきたと思うのだが、最も印象に残っている大会は?

 ―― はっきりと覚えているのは86年のメキシコ大会から。マラドーナのイングランド戦での5人抜きゴールだね。ただ、一番鮮烈な思い出は何といっても90年のイタリア大会だよ。当時、僕はラツィオのジョヴァニーリでプレーしていたんだけど、大会のボールボーイをやらせてもらったんだ。でも、オリンピコのタータントラック組には入れてもらえず、悔しい思いをしたな。子供ながらに、あの時のスキラッチの異様な目は今でも はっきりと覚えてるよ。まさに、“魔法の夜”だった。誰もが夢の中をさまよっているような感じだったし、「アッズーリが4度目のW杯を手にするんだ」って誰もが信じていたよ。それが準決勝で、マラドーナの前に、そして、カニーヒアの前に、夢が突如、崩れ落ちてしまったんだ。ショックだったな。イタリア中が“死んだ”ような感じがしたし……。それでも、イタリアが勝ち続けていた間は、毎晩が祭りだった。その時に、「82年の時もこうだった」って思い出したんだ。ローマの町は毎晩がフェスタだったよ。クラクションが鳴って、車の窓から3色旗がたなびき、まさに、82年の再現だったね。
代表デビューは20歳の時。以来、順調な成長を遂げている
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