この2年間、僕はイタリア人の優しさを感じることができた。
一生忘れられない思い出になるはずだよ


ロニー、運命との戦いをいかにして克服したんだい?

ロナウド(以下R) ―― いつもそのことを考えるんだ。自分自身に問いかけてみることもある。克服できた一番の理由は、やはりサッカーへの情熱だと思う。サッカーへの思い入れが強かったからこそ、どんな困難も乗り切れたと思っているんだ。自分の体内にあるサッカーへの大きな情熱がしぼんでしまわないように、周囲が協力してくれたということも大きな要因さ。特に、家族をはじめとする身近な人々の協力と理解があったからこそ、めげないで頑張り続けることができたんだと思うよ。そしてもちろん、ロナウド・ジュニアが生まれたことも大きな要因だね。子供が成長していく姿を見つめること、子供を抱擁すること、そして子供と一緒に遊ぶこと。こうした行為のすべてが僕に限りない力を与えてくれたのさ。

マッシモ・モラッティ会長も常に君の味方だったよね。

R ―― 会長は常に僕を励まし続けてくれた。それに、ファンの励ましの言葉が僕の心の支えになっていたことも確かさ。道ばたでも多くの人に励まされたよ。なかには「僕はユーヴェ・ファンだけど君にはピッチへ復帰してもらいたい」なんて言ってくれる人もいた。うれしかったよ。本当にたくさんの人々が、「めげるなよ」と声をかけてくれたんだ。この2年間、僕はイタリア人の優しさを感じることができた。一生忘れられない思い出になるはずだよ。ファンの励ましがなかったら、今の僕はなかったかもしれない。

そういえば、数多くの伝説的カンピオーネも君のピッチ復帰を願ってくれていたみたいだね。


R ―― 特にペレとジーコはずいぶんと僕を気遣ってくれたよ。ペレは僕が最も苦しんでいた時、すなわち、2回目の手術を受けた直後に、わざわざミラノまで会いに来てくれたんだ。そして彼は彼自身の経験を僕に話してくれた。ペレは1958年のW杯で優勝する前に大ケガをし、その時、周囲の人々はペレに引退を勧めたそうなんだ。だが、彼は引退しなかった。周囲の反対を押し切ってプレーを続けたんだ。そして、再び世界の頂点に立った。そんなこともあって、彼は僕に「周囲の言葉に流されるな。自分の身体のことは自分にしかわからないんだ。自分自身の体内にパワーが残っていると感じたら、1からスタートすればいいことだ」と言ってくれたのさ。そして、ジーコは特にここ最近、身近な存在でいてくれてるんだ。いつも電話で話してるよ。彼は僕に「リハビリを辛抱強く続けていれば、必ずピッチに復帰できる。インテルのレギュラーポジションだって取り戻せる」と繰り返し言ってくれた。そして、まさに彼の言ったとおりになったんだ。

ロナウド
1976年9月22日生まれ
183cm、82kg
シーズン クラブ 出場数 ゴール
1993
1994−95
1995−96
1996−97
1997−98
1998−99
1999−00
2000−01
クルゼイロ(ブラジル)
PSV(オランダ)
PSV
バルセローナ(スペイン)
インテル
インテル
インテル
インテル
A
A
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A
14
32
13
37
32
19
7
0
12
30
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34
25
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3
0
2 / 6