わずか1年強の工事で
巨大スタジアムへと変身を遂げる |
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サン・シーロが初めてアッズーリの舞台となったのは27年2月20日、チェコスロヴァキアを迎えての親善試合だった(結果は2−2の引き分け)。試合開始前、自転車や、馬や、徒歩で集まった2万8000人の観衆に、監督ランゴーネ以下、選手全員が手を振ったと記録に残されている。しかし2万8000人の観衆は“STADIO DEL CALCIO”(サッカースタジアム)に来たのであって、“スタディオ・サン・シーロ”に来たわけではない。当時は、サン・シーロの名前すらほとんど知られていなかったのだ。ちなみに、サン・シーロはスタジアム近くにあった小さな教会の名前から取られたものである。スタディオ・サン・シーロはあっという間に市民のお気に入りの場所となった。この事実を重視したミラノ市は、市民のため、35年にサン・シーロをミランから買い取った。そして、ミラノ市はただちにスタジアムの改修にかかった。正面スタンドおよび、バックスタンドを階段状にすると同時に、ゴール裏(クルヴァ)にも客席を設けたのだ。最初の工事は39年に終了、そして終戦後の54年には、サン・シーロの巨大化構想が実現化する。スタンドを2階建てにする工事が始まったのだ。2階へと上がる階段も螺旋状になり、わずか1年強の工事でサン・シーロは大きく生まれ変わった。観客収容能力8万5700人、世界に誇る巨大なスタジアムがここに生まれたのだ。以後、何度か修復工事が行われたが、主要部分は90年のW杯イタリア大会前の大修復工事までそのまま保存された。
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| 1970年代のサン・シーロ |
90年のW杯イタリア大会で、サン・シーロはオープニングゲームの会場になった。カメルーンが前大会の覇者、アルゼンチンを1−0で下す番狂わせを演じたのを読者の皆さんは記憶しているだろう。それがこのサン・シーロだったのだ。本来なら、このW杯はイタリアサッカーの優秀性を世界に誇る大会になるはずだった。だが、結局、西ドイツが勝利をモノにし、イタリアにはスキャンダルのみが残った。特にW杯用に建設されたスタジアムが“税金の無駄遣い”として、真っ先に槍玉に上がったのだ。サン・シーロにも批判の矛先が向けられ、スタジアムに隣接して建てられた総工費50億リラ(約2億8000万円)の記者会見室の用途が問題となった。この建物は、大会期間中はおろか現在に至るまでもあまり使用されることはなく、本来の役割を果たしたことがほとんどない。空気の流れが悪いせいで室内は常に高温で、今ではホームレスの格好の寝床になっている。
さて、サン・シーロで最も深刻な問題は透明な素材で作られた屋根である。本来透明であった部分が、汚れで擦りガラスのようになっているのだ。洗浄システムを備えなかったという設計上のミスも重なり、今や屋根はほこりで黒くなり、太陽光線を遮ってしまっている。その結果、本来ならイタリアで最高の品質を誇るはずの芝生が一気に生育不良になってしまった。サン・シーロのメンテナンスを請け負う会社は種々の方策を講じた。パヴィアから上質の芝を移植してみたが、それも効果がなかった。ミランが「クレーンのようなもので、ピッチを50メートル引き上げる」といった提案をすれば、インテルも「芝生を(ゲームがない時は)外部に出し、自然光で生育させる」というアイデアを出してはいるが、現時点ではその両方とも実現する見込みはない。代わりに、FIFAお墨付きの特殊な人工芝を敷くというのが現実的な方法論と見なされている。 |