カルチョの歴史とともに、多くの選手や観客たちを魅了してきたイタリア最大の
スタジアム、サン・シーロ。その崇高な美しさは、今も人々を惹きつけてやまない。 |
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文●マッテオ・マラーニ
Text by Matteo MARANI
写真●兼子愼一郎、グエリン・スポルティーヴォ
Photo by Shin-ichiro KANEKO/GUERIN SPORTIVO |
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「サン・シーロは死んでしまう」
ミラノ市民の誰もが心配した |
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スタディオ・サン・シーロを生き物のように扱うのはおかしいかもしれない。しかし、UEFAカップ戦の事故(注:ファンが2階から墜落した)が巻き起こした騒動で、安全性の見直しのためにサン・シーロを一時的に閉鎖するかもしれないと噂された時、誰もが「サン・シーロは死んでしまう」と思った。まるで、人の話をしているかのようにミラノ市民は心配した。サン・シーロはまさに生き物なのだ。明るい表情をする時もあれば、声を張り上げて声援する時もある。狂喜に爆発することもあるし、深い悲しみの表情を見せることもあるのだ。
サン・シーロは、ミランとインテルが数多くのスクデットを手にした場所である。また1965年5月27日には、インテルがジャイールのゴールでベンフィカを下してチャンピオンズカップを手にした場所でもあるのだ。
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| 30年代のポスターでは、名前がまだ『サッカースタジアム・サン・シーロ』となっている(現在の正式名称は『ジュゼッペ・メアッツァ』)。この頃の収容人数は約5万人だった |
スタジアムは80年3月2日に正式呼称を変えている。正式名はスタディオ・ジェゼッペ・メアッツァ、ミラノが生んだ偉大なるプレーヤー、ジュゼッペ・メアッツァに因んだものだ。サン・シーロはイタリア最大のスタジアム(8万5700人収容、オールシーター)というだけでなく、ピレッローネ(ミラノ中央駅近くにある高層ビル)と並び、近代建築の粋を集めた建造物と見なされている。多くの人はサン・シーロをオペラの殿堂、スカラ座と対比する。スカラ座を歴史と芸術のシンボルとするならば、サン・シーロはイタリア最大の経済都市ミラノの近代建築の象徴とも言えるのである。
サン・シーロは壮大な建造物である。選手もいない、監督もいない、そして観客もいないサン・シーロであっても、その荘厳な魅力が損なわれることはない。11本のパイロン(橋台)に支えられたスタジアムは、我々をいつも圧倒する。さらに、90年のワールドカップのために、ピッコロミニ通りに面した部分を除いて増設された3階部分の壮大さは、見る者すべてを驚愕の世界に導く。「サン・シーロでプレーする感動は特別だ。あのピッチに立つと足が震えるんだ」と口にする選手は多い。それほどサン・シーロという建造物は、我々に強いインパクトを与えるのである。このスタジアムを本拠としてプレーしたのはインテルとミランだけではない。ユーヴェの選手もかつて、サン・シーロの荘厳さを体験している。94−95シーズンのUEFAカップで、ユーヴェはホームチームとしてこのスタジアムでプレーしているのだ。 |