インタビュー・文●アルヴァーロ・モレッティ Interview and text by Alvaro MORETTI
写真●マウリツィオ・ボルサーリ Photo by Maurizio BORSARI
マンチーニがラツィオに帰ってきた。
ラツィアーリは彼の監督就任を手放しで喜んでいる。
ネスタをミランに、クレスポをインテルに放出しても、
“マンチョのラツィオ”に最大級の愛情を注いでいる。
ファンの期待を一身に背負ったマンチーニは、いかなるチームを作るのか。
そして“マンチョのラツィオ”はどこまで勝ち進めるのか。
新監督の胸の内に迫る。
 人はロベルト・マンチーニのことを“Artista”(アルティスタ。芸術家の意味)と呼んでいた。絵筆で美しい線を描くかのように、繊細なボールタッチでピッチ上に巧みなヒールキックの軌跡を残していたからだ。

 現役時代、マンチーニはボローニャ、サンプドリア、そしてラツィオでプレーし、常にティフォージから愛されるアイドル的存在であった。通算542試合出場という数字は、彼がセリエAに残した大きな足跡である。

 ラツィオ在籍時には、首都ローマにスクデットをもたらし、さらにヨーロッパタイトルを持ち帰ってきたこともある。そのマンチョ(マンチーニの愛称)が、今シーズン、監督としてラツィオに戻ってきた。

 彼のサッカー人生はいつだって早熟だった。16歳でセリエAのピッチに立ち、36歳で監督デビューを果たしている。彼は監督としてもすぐに成功を収めた。フィオレンティーナを率いてコッパイタリアを制したのである。マンチョは選手としてだけでなく、監督としても順風満帆な人生を歩むのか、そう考えてしまうほど順調なスタートだった。

 だが、勝利の喜びもつかの間、その2カ月後にフィオレンティーナの経営破たんが表面化してきた。ヴィオラ帝国は音を立てて崩れ去っていったのである。

 フィオレンティーナの監督を退いたマンチョに声をかけたのは、かつて栄光を共にしたラツィオのセルジョ・クラニョッティ会長だった。ほんの数年前、マンチョはエリクソン体制下の背番号10として、さらにエリクソンのアシスタントとして、“勝てないラツィオ”という汚名を返上した男だ。エリクソンがイングランド代表監督に就任した後、ラツィオ再建を託せる者が彼の他にいるだろうか? クラニョッティは迷うことなくマンチョを指名したのである。

 マンチョはこの夏、必死にチームの再建に取り組んだ。ラツィオは強力なチームである。いや、強力なチームだった。深刻な財政危機に瀕し、大幅に人件費を削減しなければならない状況に陥ったのだ。マンチョにとっては、2シーズン連続で財政危機に苦しむチームを指揮することになった。

 フィオレンティーナを率いていた昨夏、開幕を前にして、ルイ・コスタ、トルドというチームの軸を失ったマンチョは、偶然なのか、今年もまた2人のカンピオーネを失った。ラツィオのバンディエラであり、チームキャプテンだったアレッサンドロ・ネスタと、チームの得点王エルナン・クレスポである。カルチョメルカート最終日(当初の予定)に攻守の要を失ったマンチョのショックは大きかっただろう。いや、聡明なマンチョだけに、すべては計算済みのことだったかもしれない。

 今、マンチョの視線の先にいるのは、ステーファノ・フィオーレ、ファビオ・リヴェラーニ、ジュゼッペ・パンカロといった、かつては代表チームの一員だったが、今では輝きと信頼を失いつつある選手たちである。マンチョはかつてのヒーローたちの完全復活を心から願っている。

 同時に、マンチョは新戦力にも希望の光を見出している。ヴェローナから移籍してきたマッシモ・オッドは、今やアッズーリ期待の星とも言えるDFであり、フアン・パブロ・ソリンの実力はリベルプレート、クルゼイロで立証済みだ。さらに、クリスティアン・マンフレディーニ、ベルナルド・コラーディは、昨シーズンの“ミラクル・キエーヴォ”の立役者である。偉大なるカンピオーネは去って行ったが、「実質的な戦力はアップした」とコメントする評論家も少なくない。

 ラツィアーリはネスタの放出に涙を流し、怒りを露わにした。だが、マンチョの魅力とカリスマを前にして、怒号を声援へと変えつつある。
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