| クライフが指揮したバルサに おいて、ペップはチームの 哲学であり、頭脳であった |
||
|
ジョゼップ・“ペップ”・グアルディオラは、今や種の崩壊の危機に瀕する、古典的タイプのレジスタだ。彼は昔ながらのメトロノームなのである。彼のプレーを「遅い」と非難する者もいる。だが、私はそれが適当な表現だとは思わない。レジスタの下では、ボールが速く動けばいいのである。ボールが汗をかけばいいのである。そう、彼の足に触れたボールは実に速く動いている。そして、実に多くの汗をかいているではないか。 ところで、カペッロはまさにレジスタの見本と言うべきプレーヤーだった。そして、かつて彼が指揮したミラン相手に、バルサはサッカーの違いをまざまざと見せつけられたことをペップは記憶している。1994年5月18日の夜、アテネで行われたチャンピオンズカップ決勝で、バルサはカペッロのミランに0−4と完膚なきまで叩きのめされているのだ。 グアルディオラはチームプレーを組織する。頭を上げ、周囲の状況を感知する。そして、コンピューターが内蔵された足から正確なパスを供給するのである。彼は決して、“滝”のように周囲を圧倒する存在ではない。“湧き水”のようなものと言うべきだろう。時として、水が吹き上げることがある。だが、洪水を引き起こすほどの迫力はない。そんな彼が世界中の注目を集めるに至ったのは、ひとえにヨハン・クライフのおかげである。クライフはバルサ・ドリームチームの核にグアルディオラを据えたのだ。クライフが指揮したバルサにおいて、ペップはチームの哲学であり、頭脳であった。
昨夏、グアルディオラはバルサで自らの居所を失っていた。彼はすでに抱えきれないほどのタイトルを手にしていた。だが、彼は過去の名声に癒されることを良しとしなかった。行き先がなくなり、イタリアの田舎チーム、ブレッシャが声をかけた時、彼は新たなモティベーションでオファーを受け入れた。彼がクレ(バルサのファン)に別れを告げた時、カンプ・ノウは彼をスタンディング・オベーションで見送った。これ以上ないほど熱く、情熱的なオベーションを彼に捧げたのだ。それは、“一人の役者”との別れではなかった。そう、まさに、“息子”が町を去る時のような印象を我々に与えたのだ。そこに至るまでに、バルサとグアルディオラの関係は、もはや修復不可能なほど、最悪な状態になっていたにもかかわらず、カンプ・ノウには、罵り合うような“離婚風景”はなかった。むしろ、荘厳かつ威厳に満ちた国旗降下式のようですらあった。旗の棹は、強い風にきしみ音を立てていた。だが、彼がピッチを去る時、その風すらもメランコリックな凪に変わったように思えた。 |
||
| 2 / 4 |