プランデッリに託された
ジャッロブルーの手綱
 若手に投資するサッキの新プロジェクトは、すぐに実行に移された。まずは、若者を鍛えるための指導者探しが始まった。デル・ネーリ(現キエーヴォ)、バルディーニ(現エンポリ)、デ・ビアージ(現モーデナ)、ノヴェッリーノ(現サンプドリア)らが候補に挙がったが、最終的にサッキは、ジャッロブルーの手綱をチェーザレ・プランデッリに託すことにした。45歳のプランデッリは、現役時代、MFとしてアタランタ、ユヴェントスで鳴らした後、アタランタ・ユースのコーチとして若者の指導にあたり、アッリエーヴィ(15−16歳のカテゴリー)とプリマヴェーラ(19歳以下のカテゴリー)で全国制覇を果たしただけでなく、ユース年代最高峰の国際大会、ヴィアレッジョ国際トーナメントでも優勝を経験。その後、トップチームの監督としてヴェローナ、ヴェネツィアをセリエAに昇格させる功績を残している。すなわち、ブレッシャ近郊、オルツィヌオヴィ出身の彼は、教育者、指導者として特に秀でた才能を実績として示し、若手育成に長けた監督なのである。若手有望株を主軸に、戦国のセリエAを戦う方針を打ち出したパルマにとって、プランデッリはまさに、うってつけの人物だと言えるだろう。

 ベテランの中で、チームに残留した選手はほんの一握りに過ぎない。昨シーズンの戦力のほとんどは、高すぎる年俸やチームの新戦術とマッチしないことを理由に取り除かれていったのだ。こうして、“ベテラン”組ではジュニオール、ラムシ、ディアナ、ナカタが、若手ではマルキオンニ、ボナッツォーリ、フェラーリのU−21代表トリオのみが留まることとなった。そして、20歳そこそこながらすでにセリエAを経験している未来のスターたちが、続々とパルマへやって来た。キエーヴォからMFバローネが呼び戻された他、インテルからアドリアーノ、ミランからドナーティ、ブレッシャからボネーラ、ヴェローナからジラルディーノとムトゥ、ユヴェントスからブリーギ、エンポリからブレッシャーノと、若手の獲得が次々に発表されたのだ。クラブ事情をよく知る者によると、若返り戦略に添って集められた選手たちは、4−4−2のシステムに適応することを前提として選ばれたようだ。監督時代のサッキがこのフォーメーションで大成功しているだけでなく、プランデッリが常に確信を持って採用し、実績を収めてきたのもこのシステムだからである。

 ところで、ジャッロブルーと共に数々の栄冠に輝いた大ベテランのベナリーヴォは、自由契約リストに載せられた一人だった。彼同様に“束縛”を解かれたセンシーニが、10年前に“イタリアン・アドベンチャー”の出発点となったウディネの地へと舞い戻る中、一時はベナリーヴォもイングランドに新天地を見つけたかに思われた。億万長者、モハメド・アル・ファイドがオーナーで、元フランス代表のティガナが監督を務め、イタリアが生んだ伝説的リベロ、フランコ・バレージがテクニカル・ディレクターの椅子に座ったフルハムが受け入れの意向を示したのだ(その後バレージは、ティガナ監督との確執により8月下旬にチームを去っている)。しかし、彼のロンドン生活はあっという間に終わる。足首の石灰沈着症、という大して害のない持病を理由にお払い箱にされてしまったからだ。しかし、彼はくじけなかった。元パルマのチームメート、オージオが率いるセリエC2のブレッシェッロのプレシーズン合宿に合流して声がかかる日を待った。そしてセリエA開幕の数日前、経験豊かなDFが必要と見たパルマから呼び戻される運びとなったのである。
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