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1921年3月12日生まれのジャンニ・アニェッリは、カルチョを愛し、車に情熱を注ぎ、イタリア人であることに誇りを持つ、生粋のトリノ人だった。また、イタリア経済界のリーダーであり、同時に莫大な遺産の相続人、つまりFIATの創設者ジョヴァンニ・アニェッリの孫であり、祖父と同じくFIATの会長でありオーナーでもあった。アニェッリがFIATの会長職に就任したのは1966年、彼が45歳の時のこと。就任後、FIATの立て直しを図ると共に、ランチャ、フェラーリなどを買収、スポーツカーの分野でもその存在価値を示し、政治家や役人よりも巧みに、イタリアという国を世界にアピールしてきた。 ジャンニの父エドアルドは、1923年にユヴェントスの会長職に就いた。父エドアルドがユヴェントスの会長になったのはジャンニが2歳の時であり、彼が4歳の時にはスクデット獲得も経験した。父エドアルドが1935年に交通事故によって悲劇的な死を遂げると、祖父ジョヴァンニの導きで、ジャンニは17歳の若さにしてユヴェントスの役員会の一員となる。ユヴェントスの会長には1947年7月22日に就任。49−50シーズンには早くもスクデットを獲得し、強いユーヴェの礎を築いた。 アニェッリはスポーツを心から愛した。各界に豊富な人脈を持つアニェッリは、2006年にトリノで開催される冬季オリンピック誘致にも尽力した。彼がイタリアスポーツ界に残したものは、ユヴェントスとフェラーリ、そして冬季オリンピックなのである。 もちろん、あらゆるスポーツの中で最も情熱を注いだのは、ユヴェントスとフェラーリであった。そして、ユヴェントスに対してもフェラーリに対しても、彼はイタリア一のファンであった。その証拠に、訃報が届いた“あの日”、フェラーリの本部があるマラネッロでは“跳ね馬”の紋章の半旗が掲げられ、ユヴェントスは、スタディオ・デッレ・アルピがユヴェントス所有となった暁には、スタディオ・ジョヴァンニ・アニェッリという名称で呼ぶと発表した。 彼が心から愛したF1のフェラーリのエース、ミヒャエル・シューマッハーは、総帥の死に対し次のように語っている。「本当に残念です。彼を尊敬していたし、お会いできることを誇りにも思っていました。フェラーリとF1とサッカーに対するあの行動力と好奇心、そして世界で起こる事件へのあの問題意識の高さ。会うたびに感銘を受けずにはいられませんでした」。 また、彼が心から愛したユヴェントスの指揮官、マルチェッロ・リッピは、涙に声を詰まらせながら次のようなコメントを残している。「ユヴェントスに3つ目の星(ステッラ、30回目のスクデット)をもたらすことができたら、アッヴォカートはどれほど喜んだことだろう……私はそれを忘れないでいたい。誰が3つ目の星をユーヴェに捧げるかはわからない。しかし、彼は必ず空からそれを見届けているはずだよ」。 |
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