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| ラツィオとの契約を期限前に解除したキエーザ。手切れ金をしっかり受け取り、セリエAに初挑戦するシエナへの移籍を決めた。 |
ラツィオは今夏、新しい現実に直面した。「バラルディの改革案」ですっかり有名になったこのクラブは、所属選手を“ラツィオを救った救世主”と“その他少数派”の2派にしっかりと区別している。少数派に属するのは、チームから提示された“小手先の先送り政策”を断固受け入れようとしなかった選手だ。その少数派に属していたためチームの輪から外されたエンリコ・キエーザは、早々にラツィオ側との話し合いに応じている。早々と言っても、その前にシエナとの間で移籍交渉の場が持たれていたことは言うまでもない。シエナから確約をもらった上で初めて、キエーザは代理人のリスポリ弁護士をラツィオに送り込んでいる。リスポリ氏とラツィオとの交渉で最も難航したのは、手切れ金の額をいくらにするかという問題であった。というのもキエーザ側が希望してきた額が、ラツィオ側が考えていた額よりはるかに大きかったからである。ラツィオは、昨シーズン、膝のケガから回復したばかりのキエーザを“拾ってやった”という認識を持っていた。だから、キエーザがその恩に報いる形で手切れ金を全く要求してこないか、あるいは求めてきても非常に少ない額に抑えてくるはずだと考えていた。ところが最終的に得をしたのはキエーザのほうであった。キエーザはラツィオからかなりの手切れ金を受け取り、悠々とシエナに移籍して行ったのだ。ただ、ラツィオのほうも「キエーザを追い出せるなら喜んで」と考えていたこともあり、“全力を挙げて”手切れ金を用意したのであった。
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| シメオーネもラツィオと期限前に契約を解除した選手の一人。スペインの古巣アトレティコ・マドリーでプレーすることになった。 |
ラツィオの主力選手の一人ディエゴ・シメオーネも、キエーザと同じように期限前に契約を解除する形でラツィオを去っていった。ただ、キエーザのケースとは異なり、お互いが100パーセント納得した“円満離婚”だった。シメオーネはラツィオと決別した後、かつて自分を育ててくれたアトレティコ・マドリー(スペイン)へと旅立って行った。
シメオーネと同郷のマルティン・カストロマンも高額な手切れ金をもらった上でラツィオを後にしたいと考えていた。しかし、打診されていたウディネーゼへの移籍を彼が拒否したため、登録メンバーから外される立場にまで追い込まれた。カストロマンの年俸は決して天文学的な額ではない。ラツィオからしてみると、素直に言うことを聞いてくれれば適当な給料を支払ってラツィオでのプレーを保障できたのだろうが、一度主人に噛みついた男を許すわけにはいかないのだろう。マンチーニ監督の構想からも完全に外れ、ラツィオも期限前の契約解除を望んでいた。もちろんラツィオには手切れ金を払う気など毛頭ない。結局、カストロマンは古巣のベレス・サルスフィールド(アルゼンチン)に復帰することになった。 |