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19 93年9月12日、ビアンコネーロのユニフォームを身につけアレッサンドロ・デル・ピエロはセリエAデビューを果たした。あれからちょうど10年。当時の彼は、自分が伝統あるチームのシンボルになるとは夢にも思っていなかっただろう。しかし、彼の才能を見出し自ら獲得に尽力したジャンピエロ・ボニペルティには、デル・ピエロの輝かしい未来がはっきりと見えていたのだ。アレックスはユーヴェの一員として、スクデット5回、チャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグ)1回、インターコンティネンタルカップ(トヨタカップ)1回、その他6個のタイトルを獲得し、名実ともにチームの顔へと成長してきた。契約を2008年まで更新した今、彼とユーヴェとの関係は“終わりなき相思相愛の関係”になったと言っても過言ではない。契約更新により、引退後も重役としてユーヴェに残り続けることもほぼ確定した。すなわち、“生涯ユヴェンティーノ”であることが約束されたのである。 彼の一大叙事詩は、93−94シーズンに記され始めた。当時の指揮官は現在アッズーリの監督を務めるジョヴァンニ・トラパットーニだった。トラップはその年、11試合でデル・ピエロを起用。アレックスは5ゴールを挙げる働きでその期待に応えた。当時のユーヴェにはロベルト・バッジョが在籍しており、デル・ピエロが着実に成長した影にはその偉大な“師匠”の存在があった。もっとも、翌94−95シーズン、弟子のアレックスは早くも師匠のロビーを超える働きを披露した。マルチェッロ・リッピ新監督の下、チームの主力に成長すると、ジャンルーカ・ヴィアッリ、ファブリツィオ・ラヴァネッリとともに強力な3トップを形成し、チームに86年以来のスクデットをもたらしたのである。 96年にはチャンピオンズカップを獲得したが、この大会におけるデル・ピエロの活躍はまさに“ボンバー”と呼ぶにふさわしいものだった。ペナルティエリア左から弧を描くようなシュートをゴール右隅に決める“デル・ピエロ・ゴール”を連発し始めたのも、ちょうどこの頃だった。その後、アレックスは、96−97シーズンから2シーズン連続でスクデット獲得に貢献するなど、その名声を揺るぎないものにした。 ところが1998年11月9日、ウディネーゼとの試合でアクシデントが起きる。膝の十字じん帯断裂。アレックスは、その後のシーズンを棒に振った。99年に復帰したものの、1年間は満足にプレーできなかった。しかし、その後、不調から脱したアレックスは、以前よりもさらに力強くユーヴェを牽引していく。01−02シーズンにはチームに4年ぶりのスクデットをもたらした。昨シーズンも完璧なパフォーマンスでセリエA2連覇に貢献している。
一方、2年連続で獲得しているスクデットには例年ほどの執着はないようだ。もっとも、手にできるものはすべて手にしたいというのが本心であろう。アレックスはこう語っている。「理想は“グランド・スラム”だよ。事実、今シーズンのユーヴェは、スクデットとチャンピオンズリーグの両方のタイトルを狙っていけるチームなんだ。ただ、もしどちらか1つを選ばなければならないというなら、チャンピオンズリーグを選ぶよ。ここ数年、ずっと僕らの“鬼門”になってきた大会だから、今年はなんとしてでも優勝したいんだ」。 前述のとおり、デル・ピエロは“生涯ユヴェンティーノ”を誓った。今や彼は数百万人のファンを持つユヴェントスを代表する存在である。2004年、アレックスの双肩にはさらなる重責がのしかかる。
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