ャンルイージ・ブッフォンはスポーツ一家で生を受けた。父のアドリアーノは砲丸投げのイタリア代表で、母のマリア・ステッラは円盤投げで3度もイタリアチャンピオンに輝いている。つまり、ジジ(ブッフォンの愛称)は陸上選手としてのDNAを両親から受け継いでいるのだ。もっとも、彼が選んだのはサッカーの道だった。

 実は彼のキャリアはGKとしてではなくMFとしてスタートしている。インテルが最後のスクデットを手にした88−89シーズン、10歳のブッフォンは、当時憧れていたロタール・マテウスのポジションでサン・シーロ・デビューも果たしている。インテルvsヴェローナの前座試合として組まれたジュニアの試合にジジは出場したのだった。

 ジジをゴールに招き寄せたのは、82年と90年のW杯でカメルーンのゴールを守ったトマス・ヌコノ。ヌコノの華麗なダイビングがジジ少年の心に“GKへの強い憧憬”を育て上げたのである。91年にパルマの下部組織でプレーするようになるが、そこでの生活はわずか4年で幕を下ろした。パルマの下部組織のレベルに達しなかったというわけではない。全く逆である。パルマの当時の監督、ネヴィオ・スカーラが17歳のジジをトップチームに引き上げたのだった。

 1995年11月19日のミラン戦でブッフォンはセリエAデビューを果たした。翌96−97シーズンには、パルマのレギュラーGKの座を確固たるものとし、その2年後には、早くもアッズーリのポジションを手にした。その間、“奇跡のパルマ”の一員として初のタイトル獲得も経験。UEFAカップ優勝、コッパイタリア優勝を通じ、ブッフォンはイタリア最高のGKという称号を受けるに至った。

 イタリア最高のチームを自負するユヴェントスのフロント陣は、イタリア最高のGKという称号を無視できなかった。2001年の夏、ユーヴェはGKの移籍金としては歴代最高の5300万ユーロ(約69億円)という大金を支払ってブッフォンを獲得した。そのシーズン、ブッフォンは素晴らしいセービングを連発し、ユーヴェのゴールを死守した。最高のGKを擁したユーヴェは、もちろんスクデットを手にした。ちなみに、ブッフォンにとっては初めてのスクデットだった。

 ユーヴェは昨シーズンもセリエAを制した。つまり、ブッフォンが加わって以来、2年続けて頂点に立ったのである。ブッフォンにとって、クラブレベルで手にしていないタイトルはチャンピオンズリーグのタイトルのみ。マンチェスターでの決勝、ミラン戦はPK戦に持ち込まれた。ブッフォンはミランのPKを2本止めた。ユーヴェに勝利の女神が微笑んで然るべきだった。しかし、味方のキッカーがそれ以上に外してしまったのだ。世界最高のGKと称されるブッフォンにとって、PK戦での敗戦は大きなショックだった。

 2004年はブッフォンにとって特別な年になるはずである。ユーヴェのチームメート同様に、ブッフォンもセリエAとチャンピオンズリーグの2冠を視野に入れている。「2003年はチャンピオンズリーグ決勝で負けたという悲劇はあったけど、全体としてはすごく良い年だったと思うよ。何より、2年連続でスクデットを獲得したんだからね。とにかく2004年も満足のいく年になってほしいね。特にアッズーリでもユーヴェでも国際舞台でタイトルを獲得できれば最高だろうな」。

 EURO2004では是が非でも“世界一のGK”としての存在感を示したいと考えている。ブッフォンはEUROに対し異常なほどの執着を見せているのだ。というのも、腕の骨折という悲運に見舞われたため、4年前のベルギー&オランダ共同開催のEURO2000には参加できなかったからである。「4年前は本当にショックだった。仲間の活躍をテレビで見るのは本当につらかったよ」とブッフォンは語り、こう続ける。「2002年W杯もショックだった。つまり、ここ最近は代表であまり良い思い出がないってことさ。だからこそ、6月のポルトガルでは良い結果を残したいんだ」。

 ユーヴェに加入して以来、ブッフォンのプレーと身体能力はさらなる進化を遂げている。GKコーチ、イヴァーノ・ボルドンの指導の効果がはっきりと現れているのだ。進化し続けるブッフォンは、少なくとも今後10年間は、世界最高GKの名をほしいままにし、アッズーリのゴールを死守するはずである。
  文●ジャンニ・ヴィズナーディ
Text by Gianni VISNADI
写真●マウリツィオ・ボルサーリ
Photo by Maurizio BORSARI