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フランスの月刊誌『Onze Mondial』(オンズ・モンディアル)は読者の投票によりティエリ・アンリを2003年度最優秀選手に選出した。“フットボール”の聖書とも言うべきイングランドの『World Soccer』(ワールド・サッカー)誌はパヴェル・ネドヴェドを、各国の代表の監督が投票する“FIFA World Player of the Year”(FIFA世界最優秀選手)はジネディーヌ・ジダンを2003年の顔に認めた。 そして、ジャーナリストのみに投票権が許されるバロン・ドールの栄冠は、パヴェル・ネドヴェドの頭上に輝いた。チェコの選手がバロン・ドールの栄誉に浴したのは実に62年以来。ネドヴェドはヨセフ・マソプスト(当時はチェコスロヴァキア)以来の快挙を成し遂げたのだ。 バロン・ドールは『France Football』(フランス・フットボール)誌が主宰し、ヨーロッパでプレーする選手を対象にした賞である。第1回目の投票は56年。それまではチーム単位の賞しか存在しなかったが、個人を表彰しようという目的で設定されたのである。サッカーは団体スポーツであるため、当初は個人の表彰に関して疑問視する声もあった。もっとも、ご存じのとおり、今やバロン・ドールはヨーロッパで最も注目を集める賞である。結局のところ、我々はランキングが好きなのだ。ひいきの選手がヨーロッパでどれくらいの位置にいるのか、興味を示さずにはいられないのである。 2003年度のバロン・ドール投票権を持つ私は、次のように投票した。1位:パヴェル・ネドヴェド、2位:パオロ・マルディーニ、3位:アンドレイ・シェフチェンコ、4位:ジャンルイージ・ブッフォン、5位:ジネディーヌ・ジダン。ちなみに、『フランス・フットボール』誌が規定する投票基準は、その年の活躍度、選手の能力、人間性、フェアプレー、キャリアとなっている。2003年度はW杯やEUROといった代表レベルの大会がなかったため、私自身は、リーグ戦、そしてチャンピオンズリーグでの活躍度に絞って票を投じたつもりである。もちろん、ノミネートされている50人から5選手だけを選出するのは決して単純な仕事ではなかった。 私はネドヴェドに最高得点を与えた。確かに彼は決して才能に恵まれたカンピオーネではない。むしろ、“アスリート”(運動選手)と呼ぶべきかもしれない。簡潔に言えば、鍛え上げた肉体を手段にサッカーを豊かに表現できる存在なのだ。その彼こそが、2003年度のサッカーのエッセンスを最大限に表現した。私はそう結論づけたのである。 ネドヴェドはジダンが去った後のユヴェントスのシンボルである。アレッサンドロ・デル・ピエロ以上にユーヴェを象徴していると言っても過言ではない。ネドヴェドは1年間を通じて絶えずその存在価値を示し続けた。最大のライバルとも言うべきジダンをチャンピオンズリーグの直接対決(準決勝)で退け、代表を引退したマルディーニとは対照的に、EURO2004予選ではチェコ代表を力強く牽引した。つまり、文字どおりライバルを上回った結果のバロン・ドール受賞だったのである。 確かにチャンピオンズリーグを制したのは、マルディーニとシェフチェンコが牽引したグランデ・ミランであった。ミラニスタの間には「なぜ、ミラン勢ではなくネドヴェドなんだ?」という疑問が湧いたはずである。もちろん、日本で行われたトヨタカップでミランが勝利を収めていれば、マルディーニ、あるいはシェフチェンコがバロン・ドールを獲得していたかもしれない。だが、ミランは敗れた。120分間、ボカ・ジュニオルスの猛攻をしのいだが、結局、ミランはPK戦で敗れ去ったのだ。カルロ・アンチェロッティ監督は「我々はPK戦に敗れただけだ。ゲームに負けたわけではない」と語っている。確かにPK戦による黒星は真の意味での敗北ではないかもしれない。だが、チャンピオンズリーグの決勝をPK戦の末に制したミランの指揮官がするべき発言ではない。横浜での敗戦が“負け”でないのなら、チャンピオンズリーグ制覇も決して“勝ち”ではなかったのだから。ミランが敗れた瞬間、マルディーニとシェフチェンコが多くの票を失ったはずである。おそらくその大部分はネドヴェドに流れたことだろう。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※カッコ内は所属チーム、国籍の順 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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