インタビュー・文●アントニオ・バリッラ Interview and text by Antonio BARILLÀ
写真●グエリン・スポルティーヴォ Photo by GUERIN SPORTIVO

この冬、彼は“金色のボール”を2度天高く掲げた。一度は、パリで行われたバロン・ドールの授賞式で。そしてもう一度は、ユーヴェの2004年最初のゲーム、ペルージャ戦が行われたスタディオ・デッレ・アルピの観衆の目前で、だった。

「バロン・ドールを獲得できたとしても、それは僕にとって新たな出発点に過ぎない」。パヴェル・ネドヴェドはこう言い続けていた。その言葉どおり、彼は受賞後も今までと同じ姿勢を貫いている。いや、むしろ、2003年の最後に3連敗を喫したチームをすぐに立て直した今のパヴェルは、夢の続きを追い求めるために、靴の紐をしっかりと締め直したようにも見える。

今やネドヴェドは世界的な名選手たちが集まったユヴェントスというチームの象徴と見なされている。さらには、技術、創造性、得点能力、走力、運動量、適応能力のすべてを兼ね備えた彼を「現代サッカーのシンボル」と呼ぶ者も多い。おそらく、選考委員たちもそうした総合力を評価した上で彼にバロン・ドールを与えたのだろう。

もちろん、決して楽な受賞ではなかった。50人の候補者リストの中には、素晴らしいテクニックを持ったファンタジスタや数多くのゴールを挙げた屈強のストライカーの名前が並んでいた。その上、多くの人々が、ミランの偉大なキャプテン、パオロ・マルディーニの受賞を望んでいたのだ。ゴールを防ぐことが仕事のDFは一つのミスが命取りとなるポジションである。そのため、バロン・ドールのような個人賞とは当然、無縁の存在である。そうした中、今までの労をねぎらう意味も含めて、「チャンピオンズリーグを制したマルディーニにこの賞を贈ろう」という雰囲気が漂っていたのだ。しかし、最終的に名誉を手にしたのは、チャンピオンズリーグのカップを手にしたマルディーニではなかった。栄えある名誉に輝いたのは、チャンピオンズリーグ決勝戦に出場すらできなかったネドヴェドだったのである。

受賞前、散々に焦らされたネドヴェドであったが、彼が“バロン・ドールの甘い罠”に陥ることは、ただの一度もなかった。受賞が決定した後でさえ、パヴェルは、その偉業を声高に吹聴するどころか、「賞が獲れたのは、みんなのおかげさ」と語り、その功績をチームメートやファンたちと分かち合った。彼がデッレ・アルピでもう一度“金色のボール”を掲げたのは、ファンから注がれる無限の愛情に応えたかったからだろう。その時の彼の表情はまるでこう語りかけているようだった。「見てくれ! これは、僕が今まで払ってきた犠牲の代償さ。信じていれば必ず扉は開くものなんだ!」。

人間としてのネドヴェドは、正真正銘の好青年だ。賞の発表の数日前になっても、彼は自分のペースを崩さず、当然のごとく休みを返上して練習と家族サービスに努めていた。授賞式の前日も、彼はクリスマス休暇を返上して、自宅近くの公園を黙々と走っていたという。

結局のところ、パヴェル・ネドヴェドはそういう男なのだ。

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