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オロ・ディ・カーニオがラツィオを去ったのは14年も前のこと。しかし、彼に対するラツィアーレの愛情は、あの頃と何ら変わりはない。彼は36歳になったが、ラツィアーレにとって年齢などは関係ない。重要なのは彼らの“最後のバンディエラ”が我が家に戻ってきたことなのだ。
ロンドンにおけるディ・カーニオの人気は絶大である。彼は、持ち前のガッツとフェア・プレー精神で、ロンドンっ子のハートをつかんでいた。以前からディ・カーニオは、豪快かつ創造的なプレーで人気の高い選手だった。ウェスト・ハム時代のある試合で、ゴール前でフリーであるにもかかわらず、彼は相手GKが負傷しているのに気づき、すぐさまボールを外に出してプレーを中断した。この行為の瞬間から、イングランドのファンは彼をフェア・プレーの模範的存在として称えるようになったのである。そんな彼が、なぜ今、“我が家”に戻ることになったのか? その経緯をここで振り返ってみよう。 ラツィオの新会長に就任したクラウディオ・ロティート会長はファンにこう語った。「我々にはまだ、3億ユーロ(約390億円)の赤字がある。クラブはまだ瀕死の状態から抜け出せていないのだ。我々は、ラツィオでプレーできるならどんな犠牲も厭わないと思ってくれる選手を中心にして、威厳に満ちたチームを作っていくつもりだ」。そして、真っ先に獲得したのがディ・カーニオだった。 実は、ディ・カーニオはチャールトンとの契約延長に合意したばかりだった。ただ、財政難に苦しむラツィオを見て、ディ・カーニオの心は強く揺さぶられていた。いつか、ラツィオに必ず戻ってくる。ディ・カーニオは、その約束を果たすため、チャールトンとの契約の中に、「ラツィオが自分にオファーを出した場合、チャールトンとの契約を破棄できる」という条件を盛り込んでいたのだ。それを聞いた新会長ロティートは動いた。チャールトンに対し、正式にディ・カーニオの譲渡を申し込んだのである。 しかし、ディ・カーニオの下に届いたラツィオのオファーの金額は、年俸わずか25万ユーロ(約3250万円)。引退後、フロントか下部組織の監督としてラツィオに残れる可能性があるとは言え、昨シーズンのディ・カーニオがチャールトンから受け取っていた年俸は90万ユーロ(約1億2000万円)である。 しかし、彼はそんな“貧乏チーム”への移籍を即座に決意した。彼は子供の頃からずっと愛してきたクラブと運命をともにすることを決めたのである。 こうして、ディ・カーニオは、セリエAへの復帰を果たした。ちなみに、ディ・カーニオは、ローマの中心部、ロマニスタが多い下町の出身である。セリエAでは、ラツィオでプレーした後、ユヴェントス、ミラン、ナポリと渡り歩いた。その後、新天地を求め、スコットランドのセルティックに移籍。さらに、プレミアリーグでは、プレーしたすべてのチームでファンのアイドルとなった。 そして、ディ・カーニオは、何年も海外でプレーしていたにもかかわらず、常にラツィアーレのアイドルであり続けた。ラツィアーレは彼を愛し、彼もまた、ことあるごとにラツィオへの愛の言葉を口にした。88年、ロマニスタが陣取るクルヴァ・スッドに向けて彼が中指を立てたのも、チームを愛するが故の行為だったのだ。 ラツィオとディ・カーニオは、まさに心からの愛情で結ばれている。今夏、晴れてラツィオの一員となったディ・カーニオがフォルメッロ(ラツィオの練習施設)に姿を見せた日、猛暑の中にもかかわらず、実に5000人ものラツィアーレが集まった。その光景を目にしたディ・カーニオは、喜びの涙を流したという。 ディ・カーニオは、チャールトン100周年のシーズンが始まる直前にイタリアへの復帰を決めた。彼は、チャールトンの公式HPで、ロンドンのファンへ謝罪の言葉を述べている。「ラツィオへの復帰は、普通の移籍とは違う。“心のチーム”からのオファーを拒否することなど最初から不可能なことだったのだ」。 ディ・カーニオは語る。「俺も36歳になった。是が非でもレギュラーを張りたいなんて気持ちはもうない。しかし、ラツィオを救うため、クラブが再び誇りを取り戻すために、力を貸したいんだ。またここに戻って来れたなんて、今でも信じられない」。 「ローマ・ダービーで、もしGKがケガをしてうずくまっていたら?」という記者の質問には、「言うまでもない。躊躇することなくゴールを決めてやるさ」と笑顔で答えた。14年ぶりの古巣復帰で、彼は再び“パオロ・イル・カルド”(ホットなパオロ)に戻れるのだろうか? |
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