今 年の夏のカルチョメルカートで、移籍決定までに最も時間を要したケースが、エメルソンのユヴェントス移籍である。長い交渉の末、エメルソンの移籍が決まったのは、7月27日だった。2005年6月までの契約をローマと結んでいたエメルソンだが、前々からユーヴェ・フロントと接触していたようだ。エメルソンはマスコミに対し、「フランコ・センシ会長から自分の行きたいチームに行っていいとの許可を得ていた」と語っていたが、エメルソンとローマ側の見解は食い違っていた。ローマ側は、ユーヴェへの移籍はエメルソンが勝手に画策したものだと主張したのである。
移籍交渉は最初から難航した。エメルソンの見返りとして、ローマは1800万ユーロ(約23億4000万円)の大金に加え、マヌエレ・ブラージ(昨シーズンはパルマに所属し、クラウディオ・プランデッリの下でプレー)を要求したのだ。しかし、ユーヴェにはこの申し出に応じるつもりは全くなかった。エメルソン自身が強くユーヴェ行きを願っていることを理解していたユーヴェは、1000万ユーロ(約13億円)以上は払う意志がないとローマに伝えたのだ。また、ブラージに関しては、カペッロが貴重な戦力と見なしていることを理由に、譲渡を拒否したのである。 さらに、両チームの歴史的ライバル意識も絡み、交渉は困難を極めた。ユーヴェは、エメルソンの代理人、ミーノ・ライオラに仲介を依頼したが、ローマ側は折れることなく、交渉は暗礁に乗り上げた。ブラジルに戻ったエメルソンは、グレミオのフィジカルトレーナー、ホドリゴ・ホッサートの下で身体作りをしながら、朗報が届くのを待っていた。 交渉が長引く間、インテルからのオファーがエメルソンの下に届いた。さらに、ローマ・フロントとの協力関係を築いたレアル・マドリーも接触を試みた。だが、彼はこれらのオファーを拒否したのだった。それほどまでに、ユーヴェでのプレーを熱望していたのである。 ローマは、「エメルソンの違約行為をFIFAに提訴することも辞さない」と表明した。混乱がピークに達したその時、ユーヴェの代表取締役アントニオ・ジラウドとローマの取締役社長ロゼッラ・センシ(センシ会長の娘)が、ローマ市長との昼食会で顔を合わせた。彼らは、「エメルソン問題には触れなかった」と報道陣に語ったが、この日を境に、エメルソンの移籍交渉は進展を見せたのである。 そして、ユーヴェのルチアーノ・モッジGMとローマのフランコ・バルディーニGM、メルカートの責任者同士が会談した数日後には、ローマの地に、ジラウド、モッジ、ロゼッラ・センシ、バルディーニの4人が揃い、エメルソンのユーヴェ移籍を正式に発表したのである。 ユーヴェがエメルソン獲得のためにローマに支払う額は1200万ユーロ(約15億6000万円)。現金にプラスしてマッテオ・ブリーギの保有権を譲るというものだった。最終的には三者(ユーヴェ、ローマ、選手本人)にとって幸福な形で契約がまとまったと言うべきだろう。 ローマにしてみれば、交渉が長引くにつれ、「1年間スタンドからゲームを観戦して契約切れを待ってもいい」というエメルソンの恫喝に怯えていた。契約切れで、無償でエメルソンを失う最悪のケースだけは避けたいと思っていたはずだ。結局、財政難にある現在のローマにとって、1200万ユーロの現金を手にすることができた今回の移籍は大成功だったとも考えられる。 一方、ユーヴェはカペッロ戦術の軸となる選手を手に入れたことで、大きな戦力アップを実現した。エメルソン自身にとっても、自分の希望するクラブでプレーできるだけでなく、年俸450万ユーロ(約5億8000万円)の4年契約という超豪華な契約を手にしたのだから、これ以上言うことなしだ。 エメルソンはユーヴェでの入団発表の席上、今回の移籍を次のように語った。「過去についてはあまり話をしたくない。僕はタイトルを手にするためにビアンコネーロを選択した。そして、ユーヴェの一員として、必ずタイトルを手にすることができると確信している。レアル・マドリー? 僕はレアルのオファーにはノーと言ったんだ。僕にとって、“ガラクティコス”(銀河系軍団)はユーヴェなのさ」。 |
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