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![]() ナカムラは入団してすぐにその実力を発揮した。第3節インテル戦(1●2)、第4節コモ戦(1△1)、第5節ブレッシャ戦(2△2)の3試合で連続ゴール、シーズン通算7得点を挙げた。しかも、そのすべてがプレースキックからの得点であった(PKは5得点)。ただし、シーズン終盤は、出番が減少し、序盤戦の活躍の印象が薄れてしまった感は否めない。ボルトーロ・ムッティからルイージ・デ・カーニオへと指揮官が代わってからの第9節以降、彼はピッチ上での自由を“剥奪”される形となっていた。デ・カーニオがナカムラにレジスタの役割を与えたのだ。
このシーズンのレッジーナは、モーデナ、エンポリ、アタランタと熾烈な残留争いを展開した。結局、この4チームは勝ち点38で並び、直接対決の結果、アタランタとレッジーナがプレーオフを行うことになった。レッジーナにとってはヴェローナ相手に敗れ、セリエB陥落の憂き目を見た、00−01シーズン以来の残留をかけたプレーオフとなった。 2003年5月24日の第1戦、オレステ・グラニッロが超満員となるほどサポーターが応援に駆けつけた。レッジョ・カラーブリアのジュゼッペ・スコペッリーティ市長は、スタジアムに入りきれなかった市民のために、町の中心のポポロ広場に巨大スクリーンを用意した。
指揮を執るデ・カーニオ監督は、ナカムラではなく、体を張って相手の攻撃の芽を摘むことのできるモザルトを中盤の底に起用。ナカムラは、後半23分から出場したが、自分のスペースを見つけられないまま試合終了のホイッスルを迎えた。結果はスコアレスドロー。しかし、この結果に、レッジーナのティフォージは期待を膨らませた。UEFAの規定により、アウェーでのゴールが2倍に換算されるため、第2戦が1−1以上の得点で引き分けならば残留が決まるのだ。運命の第2戦は6月1日に予定されていた。 試合当日、思わぬ邪魔が入る。その日、ベルガモ地方は豪雨に見舞われ、グラウンドが使用できない状態になってしまい、試合が翌日へと延期されたのだ。収まらないのは、ずぶ濡れのまま試合開始を待っていた約5000人のアマラントだ。しかし、ベルガモ署の警察隊に付き添われながら、フォーティ会長が宿泊所を用意したことで事態は事なきを得ている。 迎えたプレーオフ第2戦。ピッチ上にナカムラの姿はなかった。 試合が動いたのは前半18分、アタランタのチェーザレ・ナターリにゴールを奪われたのだ。しかしレッジーナは、フランチェスコ・コッツァ(前半32分)、ボナッツォーリ(後半40分)の得点で逆転し、2シーズン前の雪辱を晴らしてセリエA残留を決めた。
試合終了のホイッスルと同時に、レッジョの町は大きな歓喜の渦に包まれた。町はアマラントの旗で埋め尽くされ、人々は夜通しでレッジーナのセリエA残留を祝った。一躍ヒーローとなったレッジーナの選手たちは、その日の深夜にストレット空港に到着、町中の人々とともに喜びを分かち合った。 レッジーナに入団して2シーズン目も、前シーズンの終盤戦同様、ナカムラは出場機会に恵まれない日々を過ごした。このシーズンに指揮を執った、フランコ・コロンバ、ジャンカルロ・カモレーゼは、ナカムラに、当初予想されていたポジション、つまりトップ下のポジションを与えた。だが、このシーズンのレッジーナの状態は悪く、成績不振が続いた。ナカムラも常に前線の2人(ボナッツォーリ、ダヴィッド・ディ・ミケーレ)のサポート役に回ることが多く、彼本来のプレーができない状態であった。そして、ライバルとしてナカムラの目の前に立ちはだかったコッツァの存在も、満足のいく出場機会が与えられなかった大きな要因となった。 |
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