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「身 長2メートルで、動きがぎこちない選手はイタリアサッカー界では成功しない」と誰もが思っていた。セリエC1とセリエBで過ごした5年間で、シーズン5ゴールが最高の記録だった“醜いアヒルの子”が、セリエC1のロディジャーニで15ゴールを記録。突然、“白鳥”になったのである。その成績が認められ、翌シーズンはセリエBのトレヴィーゾに移籍。彼はそこでも15ゴールを挙げ、00年の夏にはセリエAのヴィチェンツァへ移籍する。そして、そのシーズン、9ゴールを記録し、それなりの評価を得た。
ルーカ・トーニの底知れない潜在能力を評価したブレッシャの会長、ジーノ・コリオーニは、1500万ユーロ(約20億3000万円)の大金を投入してトーニを連れ去った。ブレッシャでの初年度、13ゴールを挙げたトーニは、セリエAのストライカーとして確固たる地位を確立したかに見えた。だが、2年目、彼は大きくつまずいた。そして、一昨年、パレルモに移ったトーニを、多くの人は“都落ち”と噂したのである。 しかし、パレルモ2年目となる昨シーズン、彼はセリエAで最もヘディングの強い選手、そして最も戦術的に柔軟なストライカーとして、マルチェッロ・リッピのアッズーリにも招集されるようになった。W杯ドイツ大会予選のノルウェー戦では決勝ゴールを決め、イタリアに貴重な勝ち点をプレゼントしている。 その栄光に満ちた04−05シーズンを迎える前、トーニは厳しい戦いを強いられた。ブレッシャでの2年目をけがと論争で明け暮れた。その気分を一新するため、セリエBで戦うパレルモに居を移したのだ。常識的に見れば、明らかに“都落ち”である。だが、パレルモの会長、マウリツィオ・ザンパリーニは、大きな野望の下でチーム作りを進めていた。ザンパリーニのパレルモにとって、セリエA昇格はシーズン前からの決まりごとのようなものだったのだ。そんなセリエBのパレルモでトーニは溌剌としたプレーを披露した。43試合に出場し、30ゴールを挙げてパレルモのセリエA昇格に大きく貢献したのである。 そして、セリエAでプレーした昨シーズン、パレルモの“Re”(レ、キングを意味するイタリア語)は35試合に出場し、20ゴールを記録。また、前述のように、イタリア代表においても自己主張できるようになった。さらに、パレルモとトーニはUEFAカップ出場権を獲得し、すべてが順調に進んでいたかのように思われた。だが、シーズン終了直後から、シチリア市民なら聞きたくないような噂が流れ始めた。2年間で50ゴールを決めた男にとって、年俸60万ユーロ(約8100万円)はあまりにも少ない額だというのだ。“パレルモのキング”という称号だけでは、彼の欲求を満たすことはできなかったのである。昨シーズンの最終節、フィオレンティーナがセリエA残留を決めた時、トーニの心に1つの欲求が沸き上がっていた。「フィレンツェでプレーしたい」。彼は心の中でそう叫んでいたという。 移籍交渉はすぐに始まった。交渉の場には険悪な空気が流れていた。ザンパリーニ会長は、明らかに腹を立てており、トーニを“パレルモを裏切った男”と言ってなじったりもした。シチリア島民も、キングがパレルモを裏切ったことに対する大きな怒りを露わにしていた。彼らは“キング”に憎しみすら抱くようになったのである。 両チームのGM間にも、不穏な空気が流れていた。フィオレンティーナのGMになったばかりのパンタレオ・コルヴィーノとパレルモのGM、リーノ・フォスキは知恵を駆使して争奪の綱引きを始めたのだ。パレルモは1500万ユーロ(約20億3000万円)を要求したが、コルヴィーノは、「その金額を要求している限り、トーニは永久にパレルモに残らざるを得ない」と反論した。ヴィオラ・サイドには、クラブがトーニ獲得に投資できる現金は1000万ユーロ(約13億5000万円)が限度だという考えがあったからだ。 両チームが綱引きをしている間に、パレルモはトーニ放出を見込んで、ブレッシャからアンドレア・カラッチョロの獲得を決めた。カラッチョロと言えば、トーニが去った後のブレッシャで、彼の後継者として大成したFWである。ブレッシャでのトーニの後継者が、今度はパレルモでトーニの後継者となる可能性が高まったのだ。さらに、コルヴィーノとフォスキの綱引きに、今度はザンパリーニ会長が割って入った。「フォスキとコルヴィーノの2人は、ともに自分の能力を誇示するために交渉を進めている。フォスキはトーニを放出する際に、パレルモに有利な条件を引き出したという印象を与えて手柄を立てようとするだろうし、コルヴィーノは予定額よりも安値でトーニを手に入れたとデッラ・ヴァッレ会長に報告したいのだ」とマスコミにコメントしたのだ。 その間、フィオレンティーナはトーニと年俸面で合意に達した。ヴィオラは彼に4年契約で年俸150万ユーロ(約2億円)の条件を提示し、トーニはそれを快諾したのである。そして、ヴィエラがユーヴェ入りを決断し、ヴィエリがミランとの契約書に署名するというカルチョメルカートの“マジックデー”となったこの日に、トーニのフィオレンティーナ入りが正式に決まった。最終的には、デッラ・ヴァッレがパレルモに1000万ユーロ(約13億5000万円)を支払うことでザンパリーニも納得したのである。 交渉成立後、フィレンツェに到着したトーニは、「バティストゥータが付けていた9番がほしい」と願い出たが、ヴィオラの9番はクリスティアン・リガノの番号。そこで、トーニは9が並んだ99番で我慢することにしたそうだ。しかし、実際に発表されたトーニの背番号は30。昨シーズン、ヴァレリ・ボジノフに不運をもたらした“99”は避けたようだ。 トーニはフォルガリアのサマーキャンプでの記者会見で、ヴィオラ入りのいきさつを次のように語った。「僕はずっとフィレンツェに来たいと思っていた。交渉の途中で、他のチームに行く可能性も生まれたけど、僕はずっとフィオレンティーナでプレーしたいと強く願っていたんだ。ヴィオラの野望、将来に向けたヴィジョンに共感していたからね。もちろん、ヴィオラの勝利に貢献する自信はある。それに、来年はW杯の年。今シーズン、納得のいくプレーをすれば、イタリア代表でのポジション獲得も有利になると思う。新シーズンのヴィオラにはタイプの違うストライカーが3人いる。パッツィーニ、ボジノフ、そして僕の3人が、熾烈なポジション争いを繰り広げるだろう。それぞれが自分の個性を発揮してポジション獲得を目指すわけで、そうなれば全員が成長できるんだ。僕はセンターフォワードタイプだけど、点を取るだけじゃないってことは、ここにいる記者の方は知っていると思う。昨シーズン、かなりアシストも記録したからね。だから、プランデッリが考えている“Bel Calcio”(ベル・カルチョ、美しいカルチョの意味)の実現に、僕なりに貢献できると確信しているんだ」 |
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