本誌記事 WebCALCiO 2002
パトリック・ヴィエラ

1976年6月23日 セネガル生まれ(フランス国籍)。 191cm/81kg。04−05シーズン、 プレミアリーグ32試合出場、6得点。 卓越したテクニック、驚異的な身体能力、 的確な状況判断など 攻守とも世界最高レベルのボランチ。 フランス代表として98年W杯フランス大会、 EURO2000で優勝。 ユーヴェではチャンピオンズリーグ制覇を狙う。

年の歳月を経て、パトリック・ヴィエラが再びイタリアの地に戻ってきた。本来なら彼のサッカー人生が花開くはずの土地だった場所へ、長い旅を経て戻ってきたのである。当時、ミランの指揮官を務めていたファビオ・カペッロは辛抱ができなかった。彼はヴィエラのプレーを数分見ただけで失格の烙印を押してしまったのだ。ヴィエラは当時、崩壊への道を歩んでいた“無敵”のミランで2試合プレーしたが、その後、出番が与えられることはなかった。やがて、彼はハイベリーに進むことになる。本当の師匠となる人物に出会うため、ハイベリーに向かったのだ。正真正銘の師匠、アルセーヌ・ヴェンゲルの待つロンドンへ旅立っていったのである。

ヴィエラはアーセナルで多くの勝利を手にし、フランス代表でもジネディーヌ・ジダンの影で“裏のリーダー”としての役割を演じた。ただ、ピッチ上での口論や相手選手をなじることが度々見られた。高度なテクニックを持つと同時に、相手に向かっていく迫力も有している。ヴィエラはまさに、中盤の支配者と呼ぶに相応しい選手なのだ。彼のこの資質に、ミランの指揮官だった頃のカペッロは気が付かなかった。9年前の過ちを反省しつつ、カペッロは今夏、すべての予算を費やしたとしてもヴィエラ獲得がユヴェントスのためになるとフロント陣を説得したのだ。

アーセナルのGM兼監督のヴェンゲルと会長のデインは、ヴィエラ放出を覚悟していた。アーセナルは現金を必要としていたのだ。ユーヴェとしては選手のトレードで契約をまとめて出費を極力抑えようとしたが、結局、アーセナルサイドの希望どおり、ヴィエラの金銭移籍が決定した。移籍金の2000万ユーロ(約27億円)は、不況の市場としてはかなり高額。ヴィエラはユーヴェと年俸570万ユーロ(約7億7000万円)で4年契約という“スーパースター”並の契約を交わした。年俸570万ユーロというのは、ユーヴェの中堅のリーダー、エメルソンと同額である。昨シーズンの激闘を終えたカペッロは、MF陣の強化が必要だと感じた。FW陣は、ダヴィッド・トレゼゲ、ズラタン・イブラヒモヴィッチ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、アドリアン・ムトゥと質量ともに十分。スクデット連覇、さらに念願のチャンピオンズリーグ制覇のためには、中盤の強化が必要不可欠と考えた結果のヴィエラ獲得だったのだ。

ヴィエラとの調印式の翌日、カペッロは喜びの声を上げた。「エメルソンとヴィエラのコンビは世界一だ!」

ヴィエラ獲得のために、ユーヴェはカルチョメルカートのノウハウのすべてを発揮したと言える。GMのルチアーノ・モッジ、取締役のアントニオ・ジラウド、そして副会長のロベルト・ベッテガ(ヴェンゲル監督およびデイン会長の親友)の3人は3回にわたってロンドンに飛んでいる。実は、そのうちの1回で同時テロに遭遇したそうだ。

今回の交渉で重要な役割を演じたのは、ヴィエラの代理人、ジャーヴィスとモッジGMの息子でGEA代理人グループに所属するアレッサンドロ・モッジだった。特に、モッジ・ジュニアは今回の移籍交渉において決定的な仕事をした。ヴィエラがイタリアに来るたびに面倒を見たのがモッジ・ジュニアだったのだ。レアル・マドリー入りがほぼ決まっていたヴィエラの気持ちを変えたのがモッジ・ジュニアだったとも言われている。そう、レアル入りのためのメディカルチェックをすでに済ませていたヴィエラが、年俸面でレアルと合意しなかった背後にモッジ・ジュニアの助言があったというのだ。


ヴィエラはこの10年間、常にビッグクラブの獲得の対象に挙げられていた。1996年にミラン入りを決めた時、すでに500万ユーロ(約6億8000万円)に値する金額が移籍金として支払われたほど、その能力を高く評価されていたのだ。当時、ユーヴェ、パルマ、インテル、パリ・サンジェルマンが競合する中、ミランが獲得に成功したのである。だが、ダカール(セネガル)生まれの少年にとって、ミラネッロは大きなトラウマとなった。ミランでのヴィエラは順風満帆ではなかったのである。その後、景気の良かった頃のラツィオの会長、セルジョ・クラニョッティがヴィエラ獲得に動いたこともあった。当時、ラツィオが提示する巨額のオファーに、アーセナル、そして本人もイタリア行きを承諾するのは間近と思われた。だが、事件が起こった。ラツィオvsアーセナルで、シニシャ・ミハイロヴィッチ(現インテル)が浴びせた人種差別的発言にヴィエラは大きなショックを受けた。そして、その後、ヴィエラのイタリア行きの話は全く聞かなくなった。

カペッロはヴィエラ獲得の喜びを次のように語った。「彼がミランに入ってきた時、出番を与えることはできなかった。それは、彼が若すぎたということもある。それに、同じポジションにアルベルティーニ、デサイーという2人の巨人がいた。だが、今は違う。我々は“ライカールトの後継者”を手に入れたんだ」

ヴィエラはサリーチェ・テルメのキャンプ地に着くと、ユーヴェ入りした喜びをこう表した。「セリエAは僕にとって、最大の挑戦の場だ。ガナーズを離れるのはとてもつらかった。でも今は、すごく幸せな気分だよ。移籍先にはユーヴェとレアルの2チームから選ばなければならなかった。2チームとも長期間にわたって僕を必要としてくれた。最終的に僕はユーヴェの安定感を評価したんだ。ここだったら、落ち着いてプレーできると判断した上で決定した。僕のポジションでは世界最高と言われる選手の隣でプレーすることになるが、それは僕にとってすごく光栄なことだ」

さらに、かつて自分を追い出した監督の下で再びプレーすることに関して、彼はこう語った。「あの頃のミランはスター選手がたくさんいたし、当時の僕はまだ子供だった。ポジションを奪うのは難しかったから、20歳の時、僕はミラノを離れたんだ。今、僕はより成熟した人間となってイタリアに戻ってきた。あの時のように、必死に自己主張する必要はないと思っている。僕の力はすでに証明できているはずだ」

移籍先を決める際、ジダンとリリアン・テュラムからアドバイスを受けたようだ。「2人の親友のアドバイスを比較して、僕がチームを決めたと言う人もいるようだけど、そんなことはないよ。2人とも僕にとっては最高の友達さ。今回の決定はあくまでも僕の意思だ。確かに、以前、『もうイタリアでプレーすることはない』と言ったことはある。でも、あれは人種差別的発言があったからだ。今の僕はその手の問題にも対処できる。そもそも、そういう発言をするのはほんの一握りのファンだけだということも分かっているつもりだよ。それに人種差別はイタリアに限ったことではないからね」

一方、ロンドンではヴェンゲル監督が記者たちを前に嘆きの声を漏らしている。「アーセナルの歴史に大きな功績を残した選手を失うことになってしまった。アーセナルだけではない。イングランドのサッカー史に残るような偉大なプレーヤーを、イタリアに放出することになってしまったのはとても残念だ」

ヴィエラはユーヴェの新たな“4番”として、ピッチに新鮮な空気をもたらしている。彼の加入でユーヴェが大きく戦力アップしたことを否定する者はいない。さらに、ユーヴェ・フロントもしたたかな動きを見せている。まず、同じポジションで戦力外となったエンゾ・マレスカをスペインのセビージャに350万ユーロ(約4億8000万円)で売却すると、トルコのフェネルバフチェに800万ユーロ(約10億8000万円)でステファン・アッピアーを譲渡。すでに、ヴィエラ獲得に費やした金額は2000万ユーロの半分を取り戻しているのである。ユーヴェは“巨額の投資をせずにチームの強化を図る”というメルカートの哲学を確実に実施しているのだ。

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