本誌記事 WebCALCiO 2002
左から、母親のドリス、ステーファノ、父親のオースティンのオカカ一家。両親はステーファノも住んでいるトリゴリアの選手寮で働いており、2人とも元スポーツ選手

1年前の夏、ミランとの争奪戦を制し、彼をチッタデッラ(現セリエC1)から獲得するため、ローマは若きFWの両親までも買い取らねばならなかった。ステーファノ・オカカ・チュカの獲得はまさに、彼のファミリーを獲得することでもあったのだ。ステーファノは現在16歳。ペルージャ近郊のカスティリオーネ・デル・ラーゴで生まれ、ナイジェリア移民の両親を持つFWで、この1年、ローマの下部組織で驚異の成長を見せた選手である。父オースティンと母ドリスは現在、ステーファノが住むトリゴリアの選手寮で働いている。オースティンはこう話す。「私とステーファノは常に一緒だ」

オースティンがイタリアに移住したのは23歳の時だった。会計士の専門学校を卒業した後、フィレンツェ大学の経済学部に進み、長男カルロが生まれるまで学業を続けた努力家である。

そんな両親が近くにいたこともよかったのだろう。ステーファノはすぐにジャッロロッソの環境に順応した。秋には15、16歳のカテゴリーであるアッリエーヴィで結果を出し、12月からはその上のプリマヴェーラでプレー。ヴィアレッジョ・トーナメントでは数多くの貴重なゴールをチームにもたらした。ちなみに、ステーファノはバイエルン・ミュンヘン戦での得点で、この大会の最年少得点者記録を塗り替えている。

アッリエーヴィに戻ったオカカは、すぐにアルコ・ディ・トレントで行われたベッペ・ヴィオラ杯に出場し、大会得点王となった。その後、すぐにプリマヴェーラに復帰し、今度はアルベルト・デ・ロッシ監督(ローマのMFダニエレ・デ・ロッシの実父)にプリマヴェーラのタイトルをもたらしたのである。プリマヴェーラの決勝大会では、準決勝のユヴェントス戦、決勝のアタランタ戦でゴールを決め、チームのタイトル獲得に大きく貢献。そして、2004−05シーズンの第30節ウディネーゼ戦、第35節パルマ戦では、出場こそなかったものの、トップチーム入りも経験した。オカカは当時をこう振り返る。

「プリマヴェーラに入団したばかりの頃は、足が動かなかった。ようやく調子が出だしたのは、4月のラツィオとのダービーが終わった頃からだったんだ。それ以降、自分のプレーに自信が持てるようになった。トップチームに招集されたのは、たまたまトッティが故障したからさ。もちろん、昨シーズンの時点でデビューできていたら最高だったんだけど。セリエA最年少デビュー記録(37年、ローマのアマデイが記録した15歳9カ月6日)を塗り替えることができたからね。でも、現実はそう甘くなかった。仕方ないよ。僕の前にはコルヴィア、チェルチといった先輩もいたし、監督が彼らに先にチャンスを与えるのは当然のことだからね」

そして迎えた05年夏。サマーキャンプ初日、オカカはトップチームの一員として紹介された。その後、ルチアーノ・スパッレッティ新監督の下、トップチームのキャンプに参加していたが、数週間で再びプリマヴェーラへ連れ戻されている。彼自身の分析によると、今シーズンの状況はこうだ。「おそらく、今シーズンは昨シーズンよりもチャンスが少なくなると思う。なぜなら、数カ月前、かなり多くの若手がトップチームに引き上げられた。なのに僕は、プリマヴェーラに連れ戻されることになったからさ」

オカカはローマでまだ1年しか暮らしていないが、言葉のアクセントはすでに“生粋のローマ弁”になりつつある。「そうなんだよ(笑)。兄貴からよくそのことをからかわれているんだ」

ただし、多くの歴史的建造物がひしめくローマの町には、まだあまり親しんでいないようだ。「今までローマの町をゆっくりと見て回る時間がなくてさ。スペイン広場周辺とエウル辺りを何回か散歩しただけなんだ。暇な時間は何をしているかって? トリゴリアで友達と一緒にプレイステーションかビリヤードをしているよ。アットホームな雰囲気が好きなんだ。そう、僕に安らぎを与えてくれるんだよ」

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