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| アッピアー、ムンタリ、エッシェンを中心とした中盤が武器のガーナは、今大会初出場のチームの一つ |
イタリアは未だかつて、ガーナと対戦したことがない。ここでは、かつてワールドカップで対戦したアフリカ勢との戦いを通じて、対アフリカ勢との相性を見てみよう。イタリアvsアフリカ勢といえば、我々イタリア人の記憶に強く残る試合が2つある。一つは1982年スペイン大会、1次グループ最終戦でのイタリアvsカメルーンだ。初戦のポーランド戦を0−0で引き分け、2戦目のペルー戦でも1−1の引き分け。最終戦となったカメルーン戦でも、イタリアはチッチョ・グラツィアーニのゴールで引き分け。結局、グループリーグ3試合をすべて引き分けて、辛うじて2次リーグ進出を決めたのだ。もしカメルーン戦で負けていたら、2次リーグでブラジル相手に決めたパオロ・ロッシのハットトリックもなかったし、サンティアゴ・ベルナベウでの西ドイツとの決勝戦、マルコ・タルデッリの“勝利の雄叫び”もなかったはずである。
もう一つは、94年アメリカ大会の決勝トーナメント1回戦、イタリアvsナイジェリア。アムニケにゴールを許したイタリアは敗退の危機に瀕したが、試合終了2分前、ロベルト・バッジョの同点ゴールで延長戦に持ち込み、さらに延長前半、バッジョのPKでようやく準々決勝進出を決めたのだ。この2つの試合から、多くのイタリア人はアフリカ勢には常に苦戦を強いられているという印象を持っている。しかし、そうでないケースもあった。98年フランス大会のグループリーグ2戦目のイタリアvsカメルーンでは、ルイージ・ディ・ビアージョとクリスティアン・ヴィエリの2ゴールで、3−0の勝利をモノにしているのだ。
旧チェコスロヴァキアが分離した93年以降のチェコと、イタリアは3度対戦している。3試合の成績は2敗1分け。イタリアはチェコに、まだ一度も勝っていないのだ。2度の敗戦のうちの一つはイタリアにとって手痛いものだった。EURO96では、両者はグループリーグ2戦目で対戦。リヴァプールのアンフィールドで行われたこの試合で、チェコに先制点をもたらしたのはパヴェル・ネドヴェドだった。アリゴ・サッキ率いるイタリアはこの試合を1−2で落とした。そして、グループリーグ最終戦のロシア戦で勝利を収められず、グループリーグ敗退の憂き目を見たのである。
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| ノルウェーとのプレーオフの末、初のW杯出場を決めたチェコ |
93年以前、イタリアはチェコスロヴァキアとは親善試合を含め26試合戦っている。
成績はイタリアの8勝9敗9分け。
長い歴史において実力伯仲の勝負を演じてきたのである。
歴史をさかのぼると、チェコスロヴァキアはイタリア史上最高の勝利にも、相手としてその姿を現している。
34年のイタリアW杯、ローマで行われた決勝でアッズーリと対戦したのがチェコスロヴァキアだった。
イタリアは、プッツに先制ゴールを許したが、ライモンド・オルシが同点ゴール。
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| チェコを独立後初のW杯出場に導いたブリュックナー監督 |
さらに、延長戦でアンジェロ・スキアーヴィオが決勝ゴールを決めて、ヴィットリオ・ポッツォ監督とイタリア国民に初のジュール・リメ杯をプレゼントしたのである。
その4年後、フランスでのW杯でヴィットリオ・ポッツォ率いるイタリアはW杯2連覇を達成した。
イタリアはその後、82年スペイン大会でも優勝して、W杯で3度目の優勝を果たしたが、それ以来、世界の頂点には一度も立っていない。
チェコスロヴァキアと言えば、ビッグイベントでの記憶に残る思い出が1つある。80年にイタリアで行われたヨーロッパ選手権、イタリアは3位決定戦でチェコスロヴァキアと対戦し、PK戦で敗れているのだ。
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| リッピ監督が「アメリカサッカーは進化している」と話すように、ライバルのメキシコを抑えてW杯出場を決めた |
これまで、アメリカがイタリアにとって“脅威の存在”となったことは一度もない。現在までアメリカとは親善試合を含め8回対戦しているが、6勝2分けとイタリアが圧倒的に有利な数字を残している。ただ、これはアメリカがサッカー国として未成熟だった時代の対戦ばかり。確固たる実力を備えたアメリカと対戦するのは、今回が初めてと言っても過言ではない。リッピが言うように、「アメリカサッカーは進化している」のである。
過去の対戦で多くのイタリア人が鮮明に記憶しているのは、90年イタリア大会での対戦。
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| アメリカ代表監督8年目を迎えているアリーナ。前回大会ではベスト8進出を果たした |
6月14日、アゼリオ・ヴィチーニ率いるイタリアは、ローマのスタディオ・オリンピコでアメリカを1−0で下し(ジュゼッペ・ジャンニーニのゴール)、決勝トーナメント進出を決めたのだ。
ただし、ジャンルーカ・ヴィアッリにとっては最悪の試合となった。
PKを外したヴィアッリは、センターフォワードとして機能できなかっただけでなく、この日を最後に主役の座をトト・スキラッチに譲ることになったのである。
その前の試合(オーストリア戦)で初ゴールを記録したスキラッチは、アメリカ戦でも途中から出場。
その後はずっとイタリアのセンターフォワードとして勝利に貢献、“魔法の夜”(90年イタリア大会のニックネーム)の主役を演じた。
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