本誌記事 WebCALCiO 2002

レッサンドロ・デル・ピエロは静かな海に浮かぶ孤島のようなものだ。そこでは誰もが穏やかな気持ちになれる。そんな島である。ユヴェントスのかつての偉大なオーナー、“アヴォッカート”(弁護士)ことジョヴァンニ・アニェッリは、いつになっても真のカンピオーネになりきれない彼のことを「ゴドーのような選手」と評した。もちろん、サミュエル・ベケットの有名な戯曲『ゴドーを待ちながら』になぞらえた比喩である。だが、我々はゴドーを待つことに熱心になりすぎたあまり、実は彼が我々を待っていたことに全く気が付かなかった。今まで、人々がどんな新しい愛称を付けてくれるのか、素晴らしいプレーにどんな形容詞を付けてくれるのかを、ずっと楽しみに待っていたのは、アレックスのほうだったのではないだろうか。

つまり、デル・ピエロという名の島は、常にそこにあったのである。海が時化る時もあった。引き潮が砂浜を削る日もあった。しかし、デル・ピエロという名の島が地図から消えることはなく、常にそこにあり続けたのだ。

31歳を迎えたアレックスは2006年1月10日、コッパイタリアのフィオレンティーナ戦でのトリプレッタ(3得点)で、ユーヴェの歴代得点王に躍り出た。それまでの記録保持者はジャンピエロ・ボニペルティ。ユーヴェが生んだ伝説のストライカーである。ボニペルティはユーヴェで現役を全うした後、フロント入りした。そして、ユーヴェのフロントとして最初に獲得に乗り出したのが、当時セリエBのパドヴァでプレーしていた18歳のデル・ピエロだった。実はこの時、ミランも興味を示していたという。しかし、結局このダイヤモンの原石を手に入れたのは、ユーヴェのボニペルティだったのだ。

数少ない友人を除くとほとんど人との交流を持たない地味な生き方を見て、そんな表現を用いたのだろう。

ユーヴェ歴代得点王となった記念の試合で、デル・ピエロは3ゴールを挙げている(4−1でユーヴェの勝利)。1点目のゴールは反転してから左足で挙げたもので、2点目はFKだった。そして3点目はPKを右足で決めたのである。これらのゴールは、これまでの彼のサッカー人生をすべて凝縮したようなものだった。

「男にとっては“スタイル”が大事」。こう言ったのは、“ゴールマウスの哲学者”ことユーヴェのGKジャンルイージ・ブッフォンであるが、その言葉どおり、アレックスも自らの生き方、スタイルにこだわりを持つ男だ。ヴェネト州出身のアレックスは、優しい性格できちんとした教育を受けた青年である。一方、ピッチ上では、見事なドリブルと正確なパスを繰り出す。かつてアルゼンチン代表として活躍し、レアル・マドリーのGMも務めたホルヘ・バルダーノは、このイタリアの天才を“憂鬱なカンピオーネ”と表現した。おそらく、体中に古傷を抱えながらプレーする彼の姿、あるいは、数少ない友人を除くとほとんど人との交流を持たない地味な生き方を見て、そんな表現を用いたのだろう。

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